述語の表現性  日本語の文法について その27 述語7

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述語の表現性  日本語の文法 その27 述語7

文に述語があり主語があると規定することは文の場合に何を表現していることであるか。述語動詞で文を構成し主語を必ず述べなければならないという文の規定をする場合は主語と述語のかかわりにいつも、いわば緊密な関係があることになる。それは主語と述語が対立しあって合一するようなことである。その場合の述語に目的語が表現されていると主語の主格に対立する述語の目的格が述語として結びつく。

文に述語があり主語が必ずなければならないというのは文の表現で主語を中心にして動詞がその述語表現の内容を表して主語がどうであるかということである。それは表現のことではあるけれど文を述べるときに主語となるものをまず捉えている。それを受けていまの日本語文は、なにがどうすると、動詞述語を規定する。主語を据えるとわかりよい表現となるのでそれは文の捉え方の基本となっている。

その一方で日本語の文はその成立に主語を必ず持つものではないとも説明をする。その述語を捉えた表現があるのは、それはなぜか。主語が主格であればそれは述語動詞に対するものであるから、その文の構造を考え述語動詞の表現性を受け入れて、日本語にも動詞述語を置くことができるので、主語を中心にした表現を認めることになるから、その文には主格主語がいるのであり、主語を必要としている。

すると日本語の文は形容詞述語の表現があってそれはどうか。動詞述語のなにがどうするというのに対して、なにがどうであるとするが、この捉え方も、なにはどうだとする言い方もあって、形容詞述語に対する主語の扱いが変わる。空が青い という例文で、あおいそら と表現して形容詞が述語になると、これは 空が青く見える ということになる。この空は表現者には対象としてとらえられている。

形容詞述語は名詞を用いて形容詞にする場合がある。彼は健康だ という例文で、健康な彼 となるような表現は、さきの形容詞と同じ操作で、彼が健康だ とならない。彼は健康だ という言い方がニュートラルにあって、形容詞述語の、空が青い のように対象とはなりにくいのは、彼が健康に見える という表現ではないからだろう。かれがけんこう であれば、関が原 と同じような語構造となる。

形容詞述語には動詞述語のように主格主語を持たないのが日本語の文である。が格を対象格に捉えれば対象格主語となるが対象格はまた目的格となる場合があってその文法機能の共通を考えて、対象主語と呼んでみた。空が青い 彼が健康だ いずれも形容詞述語文に扱って対象主語である。彼は健康だ というのは名詞述語文である。日本語の主語に主格主語、対象主語、そして主題主語を認めることになる。

いずれも主語であるので、いくつもの主語があるように見えるのは述語にいくつもの述語の構成があるからであって、主語の種類と述語の構成が対応することは日本語文では文の規定でそうなるに過ぎないだけであるから、文の一つ一つでは述語の表現性に応じた主語の働きを考えなければならないということである。わたしたちは文をもって、また句をもって、そして語を用いて神羅万象を表現している。