何を見てきたか

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80年代は中国北京に、90年代は天津に、2000年代になって南京に数度の訪問をしていたから、それぞれの地域が感じられた。その経緯には交換教員、専家、交流協定、研究留学そして研修引率をした。最初の印象に、専家楼に宿泊して、そのも後もその出張の扱いであったから、ホテルの生活からスタートしている。
友誼賓館の延長にある、1984年から以降も外国人専門家の接待所で短期滞在となる。配達される魔法瓶で、その熱湯を毎日毎朝、部屋に持ち込んで飲用にした。かなり水事情のある中国であった。また外貨紙幣があったので、友諠商店での輸入品に、つまりは日本の製品などを手に入れていた。
人民元でなく外貨券でもらった専門家の給料は580元だったが、すぐにも750元ぐらいになった。ホテルの食堂は安上がりで10元そこそこであったし、ほかに浪費しなければその倹約が可能だった。公共汽車、乗り合いタクシーである、距離制限がないワンボックスは1元。新しい地下鉄も同じだったが、すぐにも物価は変わった。
バス代は元より細かい角の単位、10分の1円だったか。生活をどうしていたかを思い出すと、それぞれ、中国の国家経済の状況を見ることになる。なにしろ首相と同じくらいの給料との触れ込みで、事実はそれよりも多いと言われて、貨幣価値の異なる二重紙幣の経済では、1984年の建国35年の演説で1国2制度の社会の、富めるものから豊かになる、その時代の到来までを、わたしが見た70年代の仕組みはそのときで日本とは、30年開きがあったようだった。