0114 わが二十歳には

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19歳を悶々としていたとなるのだが、まあ、よく覚えてはいない。ふつうに受験浪人をしていて体力だけ何とかしたかったが、その夏にプールで水が怖いと思ってしまったから、海などは寄せる波だけで膝上にくる圧には耐えられなかったのを記憶する。
なんとも情けなし。それでどうなったか、何を考えたか。8月を過ごしてから、秋になってぼーっとしていても仕方がないと冬休みに働いてみようと計画をした。単純志向で冬のバイトで体力の実験と決めたわけである。
自転車配達、百貨店の歳暮で、個別に大きな荷物かごを荷台につけて番地ごとに走り回るので。これとなるといまの時代の軽自動車によるのにたいして、人力でするわけで、体力勝負である。想像できるか、ハンドルをふらつかないよう、座席に座れば自分の頭より上に荷物を入れた袋が背中にあるというような。
それを頑張ってみようと体力がなければそれで一巻の終わりと決めて徐々に配達の個数を増やして慣れさせて生きるためだとすればなんだか平気にやってしまってノルマを超える個数を配るなどして配達店の店長に目をつけられた。こちらの事情など知るわけがないのだが、よくやるというわけである。
普通になにごともなく頑張ったというわけになるところを、しかし、ここで面白いことを経験する。なんと、オート3輪車でやれるかという指名である。免許は取っていたからそれも手当てがいいならありだなと引き受けた。助手が一人ついて荷台にはわんさかと贈答の紙包みが積み込まれた。
体力のことはさてそれで自身が付き始めていたので、3輪車の運転をして回った。ダイハツのオート3輪は取り回しが良いようでかなり運転が難しいところがある。下手に切り回すと荷物によっては荷台車後部の荷台ごとひっくり返ることがあるし、ブレーキの利きが急で早々おとなしい車ではなかった。
懐かしい、当時のテレビコマーシャル大村崑さんで、ダイハツミゼットを思い出す、乗ったのはそのタイプで言えば大きくなって小型となるも、その車種はすぐにも使われなくなったので、あれは得難い経験である。自動車免許の所持でおおはばに配達個数を伸ばして、確かに食べていけるときがあるぞと思わせられた。
年末のさなかに実験とした体力勝負は思わぬところで生きるために稼ぎ出す知恵を与えてくれたことになる。年明けてか、成人の日はいつだったか、疾風怒涛の困難は人生の試練となっていく。
https://www.youtube.com/watch?v=C2uugcWbiOo
1188回 岩屋外相アメリカへ いけて良かったけどハラハラドキドキで既に不利
髙橋洋一チャンネル
148806回視聴 2025/01/14

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