0430 2026

ymksk



学ぶとは

2006年04月30日

気温が25℃にもなるようだ
いつのまにか20℃を越えて暑くなっている
そう感じない、体感温度は朝夕の冷え込みと雨のために
リズムを体が捉えてきている


どこかしら身につけている、生きてきた自分の知恵がある、集団と自然現象を前にして
そこに学ぶという人としての本能がある、人間が学ぶのは
社会から、それは社を設け、会した古来からの鎮守の森に祭られるまつりごとから、帝の政になり、幕府を経て、政府となった
人の集団があり、学びの対象だったのは人間が集う世の中だった、その基本には男女の仲がある
そこから親と子、兄弟姉妹、その子として、また孫


まなびはそれを対象に、見よう見まねで、知り、解り、得たことを自分の気づきとした
火を使ったのがそうだろう、切り出した石、木を切る刀、思い出してみるがいい、火を見たはじめは何であったか、マッチを擦ったのか、自動点火の炎のまたたきに恐れたか、鉛筆を削ったころ、そのときに、どのようなナイフを使ったものかを
学びは教育の形をとって教えられることになって
自然のままの生育に型がはめられることになった


学びには習いがある
自らが手に入れ、身につけ、思いつきを得る過程がある
学習には勉強がつきものだ、学び習い覚えるためには耐えなければならない
しかし、本質的な欲望に、知識欲があるので人はそれを行う


学ぶことの焦点は、実はその先にある
学びえたこと、知りえたこと、自らの工夫でできるようになったことに、さらに自分を加える、自己を表現する、自らのアイデアが現れるのである
そこに知恵があり、固有の発想は自分でしかありえないものだ
気づきと思いつきと、ああそうなんだと、実行する意欲が学びの証となる