JPG 続
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それで、日本語教育文法とは何か。これには学習用文法、学校文法、規範文法など、その側面をとることがある。学習用文法は用法の便宜的な説明ということになる。学校文法は日本語教育現場で学校ならその学校が採用する日本語文法である。そして規範文法は現代日本語文法に例外を持つという説明の文法の本質である。ただ規範はだれがいつどのように決めるかということもあるので、成り立たない。
しかし、それは多く教科書の文法になる。日本語教育の学習現場で少なからず必要とすることがあって文法解説をしなければならないときに、規範にのっとった説明のようになるわけである。それは教科書に付属する文法解説書を説明することでもある。このように規範という側面を取ってみても日本語教育文法は教科書の数だけあって、現場で説明されるのは一つとはなり得ない。
ここで日本語教育文法としてそのひとつの理論なり体系なりがあると仮定したときに、それに対する日本語文法はあるのかということもあるので、使い慣れない日本語学文法ということを言い出すのがあり、それはまた何であろうかとなる。日本語教育研究が文法の諸問題を作り出してそれに個々の答えを出した応用文法というのがそれらしいが、その体系を示すものは2,3を置いてあらわれない。
そこで経験から取り出して素朴に振り返ると日本語教育文法は次のように捉えてきた。まず規範文法であるが、それはない、といっても、全くないわけではないので、例によって文典か文法理論による解説書を取り出すことになる。そこで見られることはやたら難しげな用語か、これまでの文法をわかりやすく解説したようなものである。手っ取り早く教科書による文法を規範文法とするようなことである。
ここにあげる規範文法が規範であるゆえんがあるならば、それはいくつにもなるものではない。それで緩やかに捉えて、日本語教育用の文法としてそれぞれ規範性を求めたものとして挙げることになり、それは経験的に使用した文法解説ということである。これを日本語教育用文法から日本語教育の日本語文法だとすることは可能であるが、あくまで学習文法であることを規定しておくのがわかりよい。
JFT、Japanese for Today 学習研究社刊、1973年のものでいまや絶版である。
IMJ、An Introduction to Modern Japanese Japan Times刊 同じく1977年のものである。
日本語教育を始めてこの教科書の文法が日本語文法であるとは思わなかった。それは説明にある便宜によるということである。しかし、すぐにもこれは日本語教育文法として理解し始めた。
日本語文法が国語の文法に規範をおかないということを、それは寺村秀夫、日本語教育指導参考書、日本語の文法で学習をしていた。むしろ、そのころは日本語教育の文法が形式になりすぎるので、そこにある国語をもとにした意味情報が形式にどのように表されるかと思っていた。その後に寺村文法は、現代日本語の輪郭に、文法記述として体系を示している。確言形、概言形など、これは日本語学の文法になるだろう。
それで、日本語教育文法とは何か。これには学習用文法、学校文法、規範文法など、その側面をとることがある。学習用文法は用法の便宜的な説明ということになる。学校文法は日本語教育現場で学校ならその学校が採用する日本語文法である。そして規範文法は現代日本語文法に例外を持つという説明の文法の本質である。ただ規範はだれがいつどのように決めるかということもあるので、成り立たない。
しかし、それは多く教科書の文法になる。日本語教育の学習現場で少なからず必要とすることがあって文法解説をしなければならないときに、規範にのっとった説明のようになるわけである。それは教科書に付属する文法解説書を説明することでもある。このように規範という側面を取ってみても日本語教育文法は教科書の数だけあって、現場で説明されるのは一つとはなり得ない。
ここで日本語教育文法としてそのひとつの理論なり体系なりがあると仮定したときに、それに対する日本語文法はあるのかということもあるので、使い慣れない日本語学文法ということを言い出すのがあり、それはまた何であろうかとなる。日本語教育研究が文法の諸問題を作り出してそれに個々の答えを出した応用文法というのがそれらしいが、その体系を示すものは2,3を置いてあらわれない。
そこで経験から取り出して素朴に振り返ると日本語教育文法は次のように捉えてきた。まず規範文法であるが、それはない、といっても、全くないわけではないので、例によって文典か文法理論による解説書を取り出すことになる。そこで見られることはやたら難しげな用語か、これまでの文法をわかりやすく解説したようなものである。手っ取り早く教科書による文法を規範文法とするようなことである。
ここにあげる規範文法が規範であるゆえんがあるならば、それはいくつにもなるものではない。それで緩やかに捉えて、日本語教育用の文法としてそれぞれ規範性を求めたものとして挙げることになり、それは経験的に使用した文法解説ということである。これを日本語教育用文法から日本語教育の日本語文法だとすることは可能であるが、あくまで学習文法であることを規定しておくのがわかりよい。
JFT、Japanese for Today 学習研究社刊、1973年のものでいまや絶版である。
IMJ、An Introduction to Modern Japanese Japan Times刊 同じく1977年のものである。
日本語教育を始めてこの教科書の文法が日本語文法であるとは思わなかった。それは説明にある便宜によるということである。しかし、すぐにもこれは日本語教育文法として理解し始めた。
日本語文法が国語の文法に規範をおかないということを、それは寺村秀夫、日本語教育指導参考書、日本語の文法で学習をしていた。むしろ、そのころは日本語教育の文法が形式になりすぎるので、そこにある国語をもとにした意味情報が形式にどのように表されるかと思っていた。その後に寺村文法は、現代日本語の輪郭に、文法記述として体系を示している。確言形、概言形など、これは日本語学の文法になるだろう。
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