小春

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R4年11月7 日 月曜日 晴れ 小春ような  
陰暦十月の異称に、小春 しょうしゅん がある。
小春の日和となると、晩秋から初冬にかけて、季節は今頃にも、しかしひと月遅いころに言う解説が専ら。。

※徒然草(1331頃)一五五「十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ」
出典 精選版 日本国語大辞典





2006年記事

いまの子たちが10歳で10年前からの生活となると1995年からあとのこと
そして20年前に深刻になったいじめは、そのときに同じく10歳だった子たちは1975年ころからの生を受けて生活をしてきた、となる
都合して30年前のこととなるとそのころの親の世代がわたしたちとなる
そして思い出すのはわが子たちが受けたいじめがあった

上履きの運動靴を隠される、体操服が泥まみれになる、ノートに落書きをする、教科書を破る、それは繰り返された
子は耐えに耐えた、親はなぜかと原因がわからなかった
小学校から中学、そして高校へとすくすくと成長をしてはいたが、とうとう高校に上がって体育の教師に髪の毛を染めている、口紅をつけているとやられて、保健室登校の毎日だったようだ
上の子はそれでも部活とクラスの人気者で難を避けていたが、下の子は悔しがって色白と髪の毛の赤いのを悔やんでわざと脱色をすると髪を染めて出かけた

団塊世代の親が社会に登場して競争の激しさが、ある意味で受験を勝ち抜いた世代がつくるなわばりに、子どもたちがあえいだ
そのころの集団を動かした原理は何だったのか、ちょっと変わった子がやられるのはいつも同じだった
うちの子がどこが変わっっていたのか、それは小学生になる前の幼稚園のときの事件が象徴した
こころない幼稚園教諭の仕業としておこる、虫に同情をした、カタツムリの命を思ってわが子は登園を拒否したことがあった
住宅から見えるアパートの目の下の幼稚園に通わせてそうなってしまった、園に行かない日々はつらかった

いやなものは頑として受け付けない
とても優しい素直な心が曲がったことには反発をして聞かない
園では昼食をたべきれないで残すので食べきるまでそのままにされてよく迎えに行くまでひとり机に載った食事を前に椅子に座らされていたという
あれから、順調に育てたつもりが、そうではなくて大学にいっても、ひとりはじけて自由気ままだったし、その後も250CCのバイクを乗ると決めてこっそりと免許を取って乗り回していた

よく育ってくれたと思う
いまは障害児教育に気を砕いて小学校教諭をしている
毎日、子たちを追いかけまわしている
強くなったのは小学校教師の免状を取ると通信教育でがんばってからだ