何があったか、何もなかった

ymksk

この週から良い天気がつづくようだ。晴れマークが向こう1週間は見える。予報は直近の精度がよくなって秋晴れになり、気温も徐々に下がるようである。
一病息災に何があったか、何もなかった、よくわからないままに、人生の指針となった。しかし17歳の9か月目に心嚢を患ったのは事実であるから、4カ月余の安静を経たことはいま大げさに書いたような人生の教えである。回復には5年と、自分ではきりを付けてそれから3年はくよくよしていた。あの時にそれは痛くてしようがない、何しろ自分は心臓の感覚だからそれですぐにどうこうとはなくとも発作のような状況を5月の時期に抱えたのを父親が病院に連れたことからいわば闘病となる。つまり病名がついたわけだからその処置が始まって4カ月を様子に薬の投与は何もなかった。手当の必要なく経過観察で薬らしきものは栄養補給だったろう。この病の原因はわからず、合併症とのことでまだ主たる原因がわかればまだしもとにかく激しい動きは禁じられた。叔父の同病のことがすぐさま起こってそれがひどいことになったのを聞いて痛み止めの常用と副作用でムーンフェイスが長くあって結局緊急治療の手前まで進んだようでその後には収まったとか、こわれかけてしまう前の状態は叔父の様子でひどいと知った。壊れかけるのは心嚢の破裂のことでそれを起こさないようにするだけが治療の手術である。その病気はわたしにとってはすぐに収まったと言える。若かったからひどくならなかったと思ってきているがその回復と生き方を変えるのには父親への思いがあった。しかしそれはくよくよしたと言った結末にどうにもならなくなったのである。大学への浪人を2年、家業の見習いを2年とこれが通算すれば3年になるのだが、いずれにしても父親のもとを去ることになる。それは居候となってさらに2年はいたのだが自助努力でアルバイト生活だった。

学続いて
https://www.youtube.com/watch?v=ceFI0cgmGZw
605回 習近平3期目突入!いよいよ台湾尖閣にやって来る
148,466 回視聴2022/10/19