0111 あのころ

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時代はそうなる様相があった。しかし教育用にするパッド型がいまほど普及していたわけではない。
画期的に、25年前のこと、入学時にノートパソコンを一人ずつ購入、入学後の携行品となる。
言語学習は2か国語を必須、あわせて日本語作文プログラムを受講して、言語コミュニケーションの基礎教育が図られた。
スタッフの専任に日本人教師は3人であとは5人の外国人教師だった。スタッフ会議は何を言語とするか、もちろん日本語であった。
学科所属の学生たちには日本人3人、外国人5人というのは当時としては驚きだったろう。
その一人であるわたしに課せられたのは日本語教育であった。
英語教育を先行する主任には言語学習のベースに日本語の確かな訓練をするという発想があったので、日本語教育ような、日本人の作文教育をしてほしいという要望があった。
日本語教育20年はそれなりにまた、日本人への作文練習にも20年、それなりのノウハウがあり、経験を積んできていたので、授業担当の実践となった。
その練習法には2000字作文を3回書いて提出するというものだった。
思い出すことはコースを作った理念にあったのは言語習得のためのスキルであった。