先祖
この世に存命ならば父は112、母は107、しかし阪神大震災の前後に世を去った。1995年平成7年に 阪神・淡路大震災があった。27年前のこと、故郷はすべて姿を変えてしまった。世の人のつながりはそれにとどまる。父方は薬屋、母方は呉服屋。それに神戸の在で船乗り上がりと、東京の田舎の市で選挙の応援屋だというから、取り合わせて語ることは難しい。明治大正の端境期に生を受けて昭和の戦争前に縁あってすぐにも大陸に渡っている。わたしの姉と兄は上海と天津の生まれであるから日本疎開地の贅沢があったようである。敗戦、そして引き上げのときにはすべてを残して、子たちだけを手に引き連れて帰国したので、写真も何もない。さて先の船乗り日記には米西戦争が記録されている。フイリッピンの港に停泊して打ち合う様子が読める。貴重な手記である。
迎え火・送り火
>一般的には、玄関に置いた素焼きの焙烙, ほうろく の上で、おがらを燃やし、その道を照らします。お墓で行うこともあります。これが迎え火です。
麻の皮をはいだ後に残る芯
ご先祖の霊があの世に帰るときは、同じ場所でおがらを燃やして、あの世までの道しるべとします。これが送り火です。
盂蘭盆は倒懸
2006年08月16日
わたしたちは矛盾をこの目ではっきり見た
海外の民衆、国内の民衆、そのテレビの中継の前で、宰相のパフォーマンスを記録することになった
近隣外交をとなえながら、その一方で、実行をもって多くから望まれないことをする
会談の用意はいつでも自分にはある、わたしからしようといっているではないか、と言いながら、相手の意を汲もうとはしないし、いわば要請や願いを踏みにじる、してやったりの行為が見えた
いつ行っても批判される、日を変えろと言うので変えても、やっぱり言われるから、いつ行っても同じだ、だから適切に判断をしてこの日にした、と言う
その日を選んだ理由は、最悪の開き直りだと、かつての盟友から言われた
が、結局のところ、公約にこだわった政治家が、他の意見を取り入れなくなっただけの仕儀となった
国内の問題だ、心の問題だ、叫び続ければまかり通ると思ったか、政治に宗教を利用した自らの憲法違反を、心情と心の自由だと、歪曲した憲法解釈をもって正当化しようとした
いわば権力の行使だとも思える公式参拝から、
署名はするので公人だということは、
はばからず、ついで公人私人での区別なく
ときりかえしても、さらには個人である
とのポケットからの賽銭も見かけの
パフォーマンスに過ぎず、
近隣諸国に議論を招くような行為は慎むなどとも
いってはみせたものの、
どれだけの主張をもってしても、
その時々に応じたやり取りに解決をはかろうとしなかったがゆえに、
メモが発見されて皇族方が参拝できなくなったとされる神社に、
自らは、英霊に祭った人々に平和を祈ると言い続ける、
みかけよりも実質を問う、
公式参拝を実現した権力者のおごりだ
頑固な一徹としかみえない適切な判断といった態度に
意固地の独善と言われる論理破綻をおかしながら
聞く耳を持たないだけではない、目を覆うばかりの
冷めた内外の諦めと何を背景にしたか、権力の遂行
それを国民に強いたことになる
いまやコイズミの名を反コイズミとする
抵抗勢力ではない心情を生み出した
やっかいな国民性を証明して見せた
手を打って、快哉を叫ぶ向きもあろう
よくやったといってやりたい、などのコメントも
どれも、しかし、うまれでた国民のなかの
民族主義を髣髴とさせた
これを捉えるにいかなる思索があるか
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