1名言の1日
R4年11月23日 水曜日 雨 14℃
1日1名言を取り出す。2009年、新潮新書344、940円なりと、なぜか値段を見てほっとする。副題に、歴史との対話365 と見える。産経新聞コラム平成20年10月1日から1年間の連載で平成21年秋にまとめて編集している。休刊日の10日分を加え365にしたと著者、関厚夫氏が序で述べる。新聞に掲載したのを全面的に書き換えだそうである。取り出してきたというのは新書版の本を整理して処分に及ぼうとするものいくつか、あるジャンルを除いてすべてで何冊かあるが、手に取ってしまうとまた読みたくなるのであえてバッサリと書棚から箱に移すがそれでもタイトルが読めてしまうとなにがしかの躊躇があるものがいくつもあって、この1冊にもその歴史との対話に改めて惹かれてしまった。購入のころを思い出すと出版が平成の年号になって20年近くの経過だから国立大勤務を私立大に転出して10年のことになる。新書タイプの出版ブームだったか、各社の新書が爆買いになる、出入りの書店セールスがあきれ返っていた、この表現はあたらないかもしれないが、1日1冊の読書を楽しもうと買っていた、このタイプなら2時間で読み上げていた経験から、まえがきあとがき中パラパラサラッとめくっての読み方を再びやってのことであった、いくつもまた読み直してという思いが戻るのは致し方なく、2度読み3度読みになる1冊だろう。と、つらつら思い起こすと、名言に1日を当てるのは良いとして、歴史との対話となるとこれは大変な文章であって、名言のできごと出版事情なり社会的背景なり、その著述の原典に当たりながらその1冊に時代を見るわけであるから記述が重い、新聞記者の確かな調査で読みごたえがあった。名言集という類の捉え方には語弊があるが、拾い読みというのにはかなわない本である。ページを繰るたびに章が変わる、ストーリーとか論考の推理とか、そんなふうな読みの作業は有効とならない、それはまた1日1名言の世界を訪ね歩こうという365日の行程となる。
さて、ゴタクの果てに、11月23日には、1907年のハムレット上演にちなむ、というところから、読者は受け止める、受け入れなければならないのは団菊依頼の好演という評を新聞記事から拾って、ここがさすがに資料の出所が違う、その様子を坪内逍遥訳で彷彿とさせる一文であるから、名言にもその話題の柱となる、あらけずりはにんげんがせうとも、しょせんしあげはかんぢからじやわい 原文は漢字交じり、という具合の逍遥訳に福田恒存訳を添える名言となる、いや、名文章のコラムである。
有名なセリフで歴史対話に締めくくるとは、ながらふるか・・・ながらへぬか・・・それがぎもんぢや
一日一名言―歴史との対話365―
関厚夫/著
新潮社 20091211月7
1,034円
>一日一頁、毎日ひとつの名言をあじわう。年の初めは、「自分は愚かで迷いすぎて、迷っていることさえ知らない」と言いきった一休禅師の悟りの境地。やがてまた大晦日は、明日への希望と生きるエネルギーを失わなかった林芙美子の名文句、「富士をいい山だと賞めるには当らない/あんな山なんかに負けてなるものか」――。 ... Google Books

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