語、詞辞

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語、詞辞

語も、詞も辞も、わたしたちの祖先には言葉であった。
それが文字としてちがうのはそれぞれ言葉が違うからである。

辞賦は漢代に流行した長編の韻文で、屈原は優美なる文学作品、楚辞という詩文を作り出した。
詞賦、詞は辞と同じ、辞賦は楚辞の系統の韻文の型式を総称する。

>詩と散文との中間にあって、対句を連ね韻も踏むが、特に定まった規則はない。叙情的性格の強い辞と、叙事的な賦 とに分けることもある。

漢字は渡来した物とともにある、そのものは、中国六朝のころ、呉、東晉、宋、斉、梁、陳と六つの王朝、そこに詩文があった六朝文化であろう。
辞書によると、江南の貴族文化が爛熟し、仏教が広まり儒教・道教と融合して清談が流行、文章は四六駢儷体が行われ、書画・詩文が栄えた、とある。三省堂大辞林より。

そのうちのひとつのものである。
それが南朝梁の昭明太子、501~531、が編纂した 文選 もんぜん、である。
周から梁までの百数十人の詩と散文800余を収録したアンソロジー30巻を、唐の李善が注をつけて60巻とした。

それをどう運び、どう学び伝えたか。
日本に渡来、平安時代においては白氏文集と並んで愛読されたと言うが。

また類書がある。故事を集め分類した。いわば百科事典である。
漢詩作成のための用語集と考えられ、初唐に作られた欧陽詢、芸文類聚があり、日本に渡来している。藤原佐世が10世紀末に編纂した、日本国見在書目録に芸文類聚が見える。

ほかには、虞世南の北堂書鈔、徐堅の初学記などの類書である。芸文類聚、また、類書の性格を備えた漢字辞書、玉篇があった。

751年に、最古の漢詩集、天智天皇の時代から完成前まで64人の作者による詞華集、懐風藻がまとめられ、漢文の自らの芸術を生み出す。
漢詩は五言詩で、六朝文化や初唐の漢文の影響を見ることができる。



世界大百科事典 第2版の解説
もんぜん【文選 Wén xuǎn】
中国の六朝の梁代に編まれた詞華集。編者は梁の武帝の長子,昭明太子蕭統(しようとう)。30巻。周から梁に至る代表的な詩文約800編を網羅する。こうした詩華集の編纂事業は3世紀末から始まり,六朝時代を通じてかなりの数に上る詩文の選集が編まれたが,《文選》はその集大成として現れ,唐以後の文学にも多大の影響を及ぼした。選択の基準は,経書,史書(ただし論賛は別),諸子を除く詩文中から,深い内容と華麗な表現を備えた作品を取ることにあったと,昭明太子の序にはいう。


世界大百科事典 第2版の解説
りくちょう【六朝 Liù cháo】
中国で,3世紀から6世紀にかけて,建業ないしは建康,今日の南京を都として江南に興亡をくりかえした六つの王朝,すなわち三国の呉,東晋,および南朝の宋,斉,梁,陳の総称,またその時代。つまり魏晋南北朝時代あるいは三国両晋南北朝とよばれる時代と一致するが,たとえば〈六朝の書,唐の詩,宋の絵〉というように,概して文化史の時期区分として用いられることが多い。



デジタル大辞泉の解説
りく‐ちょう 〔‐テウ〕 【六朝】
中国で、後漢の滅亡後、隋の統一まで建業(現在の南京)に都した呉・東晋・宋・斉(せい)・梁(りょう)・陳の6王朝。
六朝時代に行われた書風。六朝体。


大辞林 第三版の解説
りくちょう【六朝】
①中国で,後漢滅亡後,建業(南京)を都として江南に興亡した六つの王朝。三国の呉,東晋,南朝の宋・斉・梁(りよう)・陳の総称。時期は魏晋南北朝時代に並行する。
②六朝時代に行われた書風。

>六朝は、中国史上で建康(建業)に都をおいた、三国時代の呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳の総称。
呉の滅亡(280年)から東晋の成立(317年)までの時代を含め、この時代(222年 - 589年)を六朝時代とも呼び、この時期の文化を特に六朝文化と称することもある。
>六朝時代は、中国における宗教の時代であり、六朝文化はこの時代に興隆した宗教を基に花開いた。一方では、後漢代に盛行した神秘的傾向の濃厚な讖緯説・陰陽五行説の流れの延長上に位置づけられる。また、後漢末より三国に始まる動乱と社会の激変に伴う精神文化の動揺が、従来の儒教的な聖人を超越した原理を求める力となったものと考えられる。
>後漢の滅亡の220年から西晋の統一280年までを三国時代と呼び、この時代には魏・呉・蜀 の三国が争覇した事で有名である。