漢語、日本語そして言語

ymksk
訪問者数がちょうど100IPだったので、読んでくださる方にお礼を申します。
どうもありがとうございます。

正しいと言っていることをそれは正しいと言う、これは、たやすいことだ。

正しいと言っていることをそれは誤っていると言う、これは、むずかしいことだ。

誤っていると言っていることをそれは正しいという、これは、いさましいことだ。

誤っていると言っていることをそれは誤っているという、これは、やさしいことだ。

その説明が誤っているということを言うのは、これは、なまやさしいことではない。

しかし、誤りだということを、その説明が誤っていると言って見ても、これが正しいと言えるわけではないので、そのやさしさは、もろ刃の剣にひとしい。


日本語は漢語を学び英語を学び続ける。
漢語は千数百年を、英語は百数十年を、それぞれ日本語を基盤にして学習してきている、というのがわたしの持論だ。

もちろん英語だけではない。
ポルトガル語、スペイン語、オランダ語も取り入れようとしたし、フランス語、ドイツ語、イタリア語と、加えて、ロシア語も近代には学習をしている。

ただ、漢語だけは中国語となって、古代漢語の文字を言葉として借用したのを始まりとして、永くその変遷とともに受け入れたが、それは南方揚子江流域、中原地域、そして北方方言と、時代とともに学び続け、いまなお、中国語を学ばなければならない時代となった。

漢語は漢語のままに漢文訓読という日本語を作ってきた。
漢語は日本語となって漢字を文字でなく言葉としてきた。

ここにきて、中国語はコミュニケーションの言葉として、英語と同じように学ばなければならなくなったのである。
漢語をよく知るわたしたちには現代中国語は学習困難な言語となっている。