歴史記述

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聖徳太子は、敏達天皇3年1月1日、西暦574年2月7日 - 推古天皇30年2月22日、西暦622年4月8日、飛鳥時代の皇族、政治家として伝えられてきた。
厩戸皇子または厩戸王の、史実での記録がある。

後世に呼称されたこの名称は、用明天皇の第二皇子としての存在を示すものであったのだが・・・

>推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど大陸の進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った。ウイキペディアより。

古代中央集権国家体制の確立に、日本の政治の基礎を敷いたと考えられてきた。
考えられてきたというのは、聖徳太子像を虚構とする説があり、およそ1300年を経て、それをいまのときに、考え直そうとしている。

これは、説明によれば、そもそもには、十七条憲法を作ったのではないとする、江戸後期の考証学者狩谷鍵斎らから始まり、それは時代とともに検証されて議論となった。

が、最近に、
石渡信一郎、聖徳太子はいなかった—古代日本史の謎を解く(1992年)、
谷沢永一、聖徳太子はいなかった(2004年)
を著しているようである。

そして日本史教科書の記述に、その表記がみえなくなり、聖徳太子はカッコ付きになったようだ。

http://ddnavi.com/news/207734/
>聖徳太子に関する教科書表記はどうなっているかというと、「国際的緊張のもとで蘇我馬子や推古天皇の甥厩戸王(聖徳太子)らが協力して国家組織の形成を進めた」といったように、聖徳太子の文字は括弧書きの中に納められてしまったようなのだ。
『書き替えられた日本史 「昭和~平成」でこんなに変わった歴史の教科書』
(「歴史ミステリー」倶楽部/三笠書房)



https://ja.wikipedia.org/wiki/聖徳太子.E8.99.9A.E6.A7.8B.E8.AA.AC
>聖徳太子の存在を傍証する資料は、『日本書紀(巻22推古紀)』及び「十七条憲法」、『古事記』[注 31]、『三経義疏』、『上宮聖徳法王帝説』、天寿国繍帳(天寿国曼荼羅繍帳)、法隆寺薬師像および釈迦三尊像の光背銘文、同三尊像台座内墨書、道後湯岡碑銘文、法起寺塔露盤銘、『播磨国風土記』、『上宮記』などの歴史的資料がある。

坂本太郎『聖徳太子』 人物叢書:吉川弘文館 ISBN 4642050019
曽根正人『聖徳太子と飛鳥仏教』2007 吉川弘文館 ISBN 4642056289
瀧藤尊教『以和為貴 聖徳太子の信仰と思想』 善本社
前田恵学、引田弘道『人間聖徳太子』講談社
石田尚豊『聖徳太子辞典』 柏書房 ISBN 4760115404
新川登亀男『聖徳太子の歴史学』2007 講談社 ISBN 4062583828
谷沢永一 「聖徳太子はいなかった」2004 新潮新書 ISBN-13: 978-4106100628
家永三郎ほか『聖徳太子論争』2006 新版 新泉社 ISBN 4787706055
梅原猛『聖徳太子』2003 小学館、1993 集英社文庫
梅原猛『隠された十字架 法隆寺論』1986 新潮社 ISBN 4101244014
遠山美都男『聖徳太子はなぜ天皇になれなかったのか』2000 角川書店 ISBN 4043551010
森田悌『推古朝と聖徳太子』2005 岩田書院 ISBN 4872943910
吉村武彦『聖徳太子』2002 岩波新書 岩波書店 ISBN 4004307694
王勇『聖徳太子時空超越―歴史を動かした慧思後身説』1994 大修館書店 ISBN 4469290696
梅原猛・黒岩重吾・上田正昭ほか『聖徳太子の実像と幻像』2001 大和書房 ISBN 4479840591
小林惠子『聖徳太子の正体 英雄は海を渡ってやってきた』1990 文藝春秋 ISBN 4163447202
田中英道『聖徳太子虚構説を排す』2004 PHP ISBN 4569638279
宮東斎臣『聖徳太子に学ぶ十七絛五憲法』1995 文一総合出版 ISBN 482991100X
恵美嘉樹『図説 最新日本古代史』 2008 学習研究社 ISBN 4054038344
大山誠一『長屋王家木簡と金石文』 ISBN 4642023259
大山誠一『長屋王家木簡と奈良朝政治史』1992 吉川弘文館 ISBN 4642021671
大山誠一『「聖徳太子」の誕生 歴史文化ライブラリー』1999 吉川弘文館 ISBN 4642054650
大山誠一『聖徳太子と日本人』2001 風媒社 ISBN 4833105209
大山誠一(編集・共著)『聖徳太子の真実』2003 平凡社 ISBN 4582469043
大山誠一『聖徳太子と日本人 ― 天皇制とともに生まれた<聖徳太子>像』2005 角川書店 ISBN 4043782012
『聖徳太子の実像と幻像』2001 大和書房 ISBN 4479840591





http://www.systemicsarchive.com/ja/a/shotoku.html

歴史家の中には、聖徳太子の実在を疑う人が少なくない。その急先鋒が、大山誠一である。
『「聖徳太子」の誕生』の中で、大山誠一は、

用明天皇と穴穂部間人王の間に生まれた
601年に斑鳩宮を造って、そこに住んだ
現在の法隆寺のもととなる寺を建立した
という属性を持つ厩戸皇子(厩戸王)の実在を認めつつ、その厩戸皇子が

冠位十二階を定めて、門閥主義を排し、有能な人材を登用した
十七条憲法を制定して、天皇中心の国家理念と道徳を提示した
小野妹子を隋へ派遣し、隋と対等な国交を開くことに成功した
『三経義疏』を述作し、蘇我馬子とともに国史の編纂を行った

という属性を持つ聖徳太子であったことを否定する。
要するに、厩戸皇子は実在したが、聖徳太子は実在しなかった。聖徳太子は、ヤマトタケルと同様に、『日本書紀』が捏造した、たんなる神話的存在に過ぎない。なぜなら、聖徳太子の実在を保証する、信頼に足る史料が何もないからだと言うのだ。


『隋書倭国伝』には、第一回遣隋使派遣に関して、次のような記述がある。

開皇二十(600)年、倭王、姓は阿毎(あめ)、字は多利思比孤(たりしひこ)、阿輩鶏彌(おおきみ)と号す、使を遣して闕(みや)に詣る。上、所司に其の風俗を訪わしむ。使者言う「倭王は天を以って兄と為し、日を以って弟と為す。天未だ明けざる時、出でて政を聴き、跏趺(あぐら)して座し、日出ずれば便ち理務(つとめ)を停め、云う、我弟に委ねん」と。高祖曰く「これ太いに義理無し」と。是に於て訓して之を改めしむ。王の妻、彌(きみ)と号す。後宮に女六、七百人有り。太子は名を和歌彌多弗利(わかみたほり)と為す。

[石原 道博:新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝―中国正史日本伝〈1〉]