変説

国語文献学の国語学と国文法、日本言語学の個別言語と日本語文法あるいは日本語教育用文法、この2つはまるで近代言語学の始発になる通時論と共時論のような立場の主張となっていた。共時研究と通時研究は相容れないものとする研究手法の示唆は正しいものであろうけれど、それには言語使用の背景があることで日本語のように歴史と伝統の中に継続する地域特性を持った言語の現象にはどうであろうか。
歴史言語学と対照言語学のように峻別してのとらえ方はあるにしても、ほかに比較する言語が見つからない限りにはこの地域に位置してその時間と空間は分けられるものではないと考えられる。つまり継続、継承して周辺からの影響を受けてきたことも含めて言えば日本語の方言としての特徴がある。それを現在と古代に分けるのは方法論においてはいかが、1000年の脈々たる国語、日本語である。
入門書とタイトルにする三上学説の紹介本がある。紹介というにはかなり込み入った内容を持つが、「象は鼻が長い」入門、副題に、日本語学の父 三上章 と見える。2003年4月1日、くろしお出版刊行。著者は庵功雄氏、その言によれば、三上を知らない子供たちにあたるそうである。したがって、この書は三上を知らない世代の三上文法の理解の試みだそうである。
副題は三上章論文集に寄せた序文から引用しているのは、現代日本文法研究の父と書いてあるところからしい。文法を日本語学とした説明は定かでないが、これまた日本語学という枠組みが自明であった世代としての思いのようである。三上さんの遺言の書と、死ぬ1年前に書かれた最後の著作だからというのか、文法小論集のことを言ってのける。遺著には違いないが遺言とはなにか。
文法小論集から引用する箇所で変説という語を変節と庵氏は書いている。主語否定には 2023-05-25で触れた。三上氏は変節などと用いないだけでなく、2変説のお詫び と章を立てているから、明らかな言葉づかいであるので、思い込みがあるのだろう。変説するようなことがあったとすれば、それは変節を意味しない。三上文法の主張のゆえんである。お詫びで述べたのは橋本学説に対してであった。
主語否定論と主語存続論ととらえるような、解説があった。主語肯定という三上の言い回しから、主語肯定論としてみたが、またそれは文法学説の類別に主語肯定のように用いる方もいらっしゃったので、そう表現するところにしたがって、そのころに否定論があったわけではないから肯定論も何もないと思うと、書いてきた。存続論となると、どうだろう。
この論争のような物言いに庵氏は両論が共存可能であるとする。 77ページ 主語廃止をめぐって まとめ
>『象は鼻が長い』入門 日本語学の父 三上章
くろしお出版
https://www.9640.jp › book_view
生成文法、類型論による主語存続論 3_2. 人称制限に基づく主語存続論 3_3. 主語廃止論と主語存続論 4. 本セクションのまとめ §3 三上文法各論―日本語学の土台としての ...

このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。