濁音と表記

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講演原稿が10年前の、きょうとして、記録されている。言語と表現、事象と真実、ことばを学ぶ日本民族である。歴史に現れた言語は、漢語の発音を日本語の発音にすることであり、それを文字にして表そうとした。日本語の言葉を外国語の発音で写そうとして、それを文字の工夫、仮名の発明と捉えることがある。日本語発音は歌に表されて整理整頓されてきた。その事実は驚きである。わずか47音に集約されれ、そのうえで、外国語の発音も、当時には中国語の発音であるから、それを受けて表記しようとした。清音と濁音を区別していたか、どう意識のうちにとどめてきたのか、濁音がそれと表記されるのは、万葉歌の後には絶えて久しくない。外国語と接触する発音にとらえられたままに、日本語にあったと思われるその発音は、拗音、促音とともに、また撥音にも明確に表記に現れるのは、近代になるまで時代を下げることになる。



濁音字母から濁声点へーl濁点の起源論続 紹 - 国立国語研究所
db3.ninjal.ac.jp/SJL/getpdf.php?number=1720150280cs
略体仮名のみの体系に統一するために、「消去」するという志向の下の工夫に発したものである。初期の濁音表示形式は、その .... した資料がかなり有るのである。その濁音字母を使用したものは先ず焚語音表記の部分において見られる(資料番号4『孔雀経』.


http://www.kyuko.asia/book/b109501.html
汲古書院

歴史の彼方に隠された濁点の源流を探る
―附・半濁点の源流―

歴史の彼方に隠された濁点の源流を探る
◎陀羅尼を正確に読誦するため、日本人が試行錯誤した軌跡を辿り、清濁書き分けの源を解き明かす

著者 沼本 克明 著
ジャンル 国語学(言語学)
国語学(言語学) > 語彙音韻
出版年月日 2013/03/12
ISBN 9784762936111
判型・ページ数 A5・292ページ
定価 本体3,000円+税
在庫 在庫あり
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目次
はじめに
第一章 日本語と外国語の接触
第一節 梵語との接触の起源
  一、密教請来以前   二、密教の請来
第二節 平安密教の梵語研究の意図 
一、平安密教請来に伴う梵字文献の請来者   二、円仁の修学 【補説】法華懺法
三、密教儀式の中の梵唄           四、円仁の感動―請来の学問―
第二章 平安密教の展開
  第一節 密教事相の背景の概観
一、面 受   二、金剛界法と胎蔵界法の実践資料 【補説】ヲコト点について
三、陀羅尼呪の背景―悉曇学―  基本梵字(悉曇章)
第二節 平安初期の悉曇章の研究
一、慈覚大師請来全雅伝与本『悉曇章』 【補説】四声について
二、智證大師請来『悉曇章』         
三、石山寺淳祐本『悉曇十二章』 【補説】五十音図の起源論 【補説】日本語における拗音の問題
第三節 平安初期以後の儀軌と作法次第の訓点資料
一、密教経典の訓点の諸相   二、梵語音表記の工夫   三、梵語の音韻とプロソディ表記の工夫
第三章 日本語における清濁の書き分け
第一節 類聚名義抄の濁音仮名の歴史的位置
一、観智院本類聚名義抄の清濁表示法   二、符号「レ」の源流
三、観智院本類聚名義抄の濁音仮名による表示法の源流  四、濁音仮名と濁点との相関の見通し
第二節 濁点の発生の基盤
一、清濁書き分け史の概観   二、濁点の起源論   三、濁音仮名使用資料と濁点使用資料の概観
第三節 清濁表示法の試行錯誤から濁声点へ
一、濁声点への展開と統合   二、濁音表示の院政期以後の実態
第四章 濁声点から濁点「、、」へ
第一節 濁音卓立標示
一、濁音への注目       二、声調と濁音の二元的標示から一元的標示へ
三、濁音卓立標示資料の流れ
第二節 声明資料の濁音標示
一、金沢称名寺流の声明資料  二、大原三千院流の声明資料
第三節 右肩「濁点」の定着
一、右肩濁点定着の背景 【補説】出合と中世のアクセント変化
二、訓点資料での定着     三、和文系資料での定着   纏 め
附 章 半濁点はどのようにして出来たか
第一節 日本語の表記記号としての圏点「○」
一、序            二、不濁点の発生と広がり   
三、外国語転写おける注意符号  1、キリシタン資料の注意符号  2、欧語転写の注意符号
四、浄土真宗と日蓮宗における「○」符号   五、ガ行鼻濁音符   六、「○」記号の通史
第二節 半濁点に関する通説の展開  第三節 江戸初期の半濁音表示法の実態の確認
第四節 江戸唐音資料の「○」 符号   第五節 半濁点の成立―唐音資料から日本側資料へ―
纏 め
結  語
本文注/主要参考文献/要語索引/あとがき
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内容説明
【本書】より(抜粋)

kaという発音を日本語では清音と呼び「か」「カ」という仮名で表記し、gaという発音を日本語では濁音と呼び「が」「ガ」で表記する。濁音には清音を表記する仮名の右肩に濁点「、、」を加えて表記する。なぜ濁音を「、、(この記号は本書中、「・・」を使用することもあるが同じもの)」で表記するのか。そういう問題について、日常我々日本人は意識しない。する必要がないからである。意識しないでも自由に使うことが出来るようになっている文字体系形成の背景には、実は「慈覚大師円仁」という平安初期の僧侶が中国に留学して持ち帰った梵語(古代サンスクリット語)の学問が存在した。濁点の成立の背景には、梵語の発音を忠実に外国音として学習するために長い期間に亘って日本人が行なった試行錯誤と極めて巧妙な工夫が隠されている。そういう歴史の彼方に隠された事実を日本語の歴史資料―訓点資料―に基づきながら旧稿に手を入れ一般の人にも分かり易いように再現してみようとするのが本書の意図である。尚、付論として、同じような成立の背景を持つ半濁点「○」の源流についても論じておくこととする。

《第一章の要旨》

平安初期に、中国で当時流行していた新仏教である密教が請来された。この密教では特に梵語の呪文―陀羅尼―の読誦が重要視された。この陀羅尼は漢訳仏典では殆ど全て漢字で音訳されて収められている。平安初期に入唐した天台宗・真言宗の僧達は中国で梵語を学習し、梵語そのものとして陀羅尼の読誦を行うことを我が国に定着させようとした。その最も重要な僧が慈覚大師円仁である。本章では円仁が定着させた梵語の学問―特にその発音に関するものを「悉(シツ)曇学(タンガク)」と呼ぶ―がどのように展開したかの見通しを立てるために奈良時代以後の仏教界の動きを概観し、平安時代に入って以後の天台宗・真言宗の修法の方法やそのテキストの学習における梵語音の記述の工夫や実態を眺めておくこととする。

《第二章の要旨》

平安初期に請来された密教の学問においては陀羅尼の学習と伝承が極めて重要な僧侶の条件になった。そのために僧侶達は『悉曇章』や『胎蔵界儀軌』『金剛界儀軌』の儀軌やそれらの次第書に含まれる梵語特有の発音を修得し伝承する為の種々の工夫を行い実践した。清濁の区別も亦その中の一つの工夫であった。清濁の区別は、悉曇章や密教儀軌系統の訓点資料に含まれる新来外国語としての梵語音の発音の修得とその記述の為に発明されたものであった、ということを具体的資料に基づきつつ眺めていく。

《第三章の要旨》

梵語の音読の場で、原音の梵語の濁音を如何にして表示するかという工夫から生まれた清濁の書き分けは、その後、訓点資料の世界で漢字音へ、更にはやがて和訓表記にも流用され、最終的に濁点として定着することになる。本章ではその濁音表記の定着の過程を具体資料に基づきながら眺める。

《第四章の要旨》

本章では、濁音表示法が濁声点として社会的に統一されて以後、声調表示機能を捨てて濁音だけの表示で良くなった背景と、その加点の位置がなぜ右肩になっていったのかについて具体的な資料に基づきながら考えてみる。

《附章の要旨》

濁点「、、」と半濁点「○」は、共に仮名の右肩に補助記号として使用され、共に日本語と外国語との接触の場に源流があるが、それぞれの成立の経緯は全く異なる。半濁点は、日本語の音韻史の上で室町末期以後にハ行子音が唇音「f-」から喉音「h-」へ変遷したことに応じて、それまで同じ音韻として把握されていた「p-」が別の音韻として意識されるようになり、その記述のために唐音資料が源流となって江戸中期に成立したことを述べる。半濁点という呼称は、濁点「○○」「、、」の半分「○」「、」であるところから成立し、その後通称として一般に受け入れられて今日に至ったものであることを述べる。





9日
2007年10月09日07:00

雨の朝、しっとりとぬれた屋根に渡す電線が
雫を多く垂らしていてきらりと輝くように
水玉があちらこちらに連なって見える
静かな休み明けに、あわただしい日常が始まる

プロジェクトは2週かかっての顔合わせとなって
スタートについて始まるのはもう追い込みだ
それぞれが成長をして落ち着きを見せる
さてと将来に向けての一歩は内定式にあった

それでもみんながみんな、そうとは限らないなら
若い将来は選択肢にある権利をどう使うか
ワッフルを食べながらのその会は
ゆくえに

気候は寒暖を繰り返す



題目は、白居易が与えた文学の影響、としました。この場合の「文学」は日本文学への影響です。影響にはよい面と悪い面とがありますが、文学の分野で影響を論じるときには、その文学が出現したことで次の時代の文学や文学者あるいは作家、作品にもたらした文学上の潮流を指摘するのが、学問研究上の一般です。時代は日本の古典文学の11世紀にさかのぼります。

この話をするにあたって、まず始めに3つのことを申しましょう。ひとつは、この話の内容についてすでに、中国の社会科学院東方文化研究中心が主催する学術研討会、2001年7月に行われました東方社会哲学国際学術研討会で、「白居易文学の受容と日本文化」と題して発表をしました。その内容と、そして、研究の成果は、こちらでの学術研究がもとです。ふたつめです。

それは中国政府教育部の招待による訪問学者としての研究留学をいたしました。わたしは中華文化研究奨学金を受けて、1999年3月に南開大学の中文系で、孫昌武教授から研究指導を受けました。孫教授の著作『禅思と詩情』に触れる機会を得て、その学恩のもとに先ほどの学術発表が実現しました。ここであらためて、尊敬とふかい感謝の気持ちを表したいと思います。

みっつ目のことは、わたしには日本文学と語学研究の専門と、もうひとつの専門に、日本語教育の研究があります。それは1984年8月に北京市にある北京語言文化大学で日語専家としての任務を果たした経験が重要であることです。1978年から中国の政府派遣留学生の方を指導して30年近くを経過します。皆さんとまみえることは、決して偶然ではない気がいたします。

それは、日本語を学びに海外から日本へ見えた研究者たち、教育者たち、多くの大学院学生、大学進学予備生、学部留学生といつしか接してきましたが、そのかたがたに日本語と日本文化を教えるようになって、そのことをとおして、日本語教育で多くのことがらを、わたし自身が学ぶことができた、と思えることがあります。本日、それを皆さんとともに、感謝申します。

さて、日本文学で最初にノーベル文学賞をうけた作家、川端康成氏は、美しい日本のわたし、と講演をしました。題目は美しいわたしであるのか、美しい日本であるのか、議論のあるところですが、そもそも文学上にとらえた日本の美しさとは何でしょうか。日本文学では花鳥風月に親しみ、花鳥諷詠ということを申します。自然にむかっているのは、いったいなぜでしょう。

さらにノーベル文学賞を受賞した作家、大江健三郎氏は、あいまいな日本のわたし、と講演をしました。昨年の9月にこちらに大江さんが見えて、外国語学院で「ヒロシマ・ノート」の著作をめぐる話をされました。あいまいな日本と聞いて、そもそも、日本語をあいまいだ、と言うことが多いのですが、それはなぜでしょう。あいまいとは、どういう意味でしょうか。

こうして著名な作家たちの発言を読み聞いて、それなら、わたしが今回、話しをするには、うつくしい、あいまいな、そういう日本ではない、はっきりとしたことを言わなければならない、と思って、はっきりした日本のわたし、を目標にしました。「はっきり」は漢字で、「判然」です。したがって、話にはできるだけわかりよい、はっきりした日本語を使いたいと思います。

ノーベル賞作家は偉大な業績を持っています。わたしは研究学徒に過ぎません、いま、たいそうなことを申しましたのは、判然したかたちを見せるものを追求したいと思っているからです。美しいもの、あいまいなもの、そのいずれをもことばでとらえて、すがたかたちにするなら、どうなるでしょう。美しいものを指し示すとは、日本語では、いつくしんで褒めることです。

美しい日本を掲げた宰相が、つい最近の日本にあらわれました。その政治目標や政策を批判するのではありませんが、余りにもたくさんのことを実現しようと、憲法問題や教育行政、外交姿勢に内政問題とそれはきらびやかな政策が多くありました。中日関係の回復も含めて、美しいものをたくさんたくさん、実現しようとしたために、首相は疲れきってしまったようです。

美しいものには、日本風土では、もう少し頼りなく、はかないもの、そういうものを美しいと、こころを動かす民族の情緒があります。その意味では川端氏がとらえる美しい日本はわかりやすかったのです。文学者が持つ内面の精神には、美しさを追求するため、美しいわたしの精神面のもろさがあったようにも思えます。偉大な受賞作家としての晩年の自殺は不可解でしょう。

曖昧な日本については、まだ活躍中の偉大な作家の心をとらえた精神として、あいまいさを理解し、わたくしにそうすることで、ここで多くを触れるのを差し控えます。ノーベル賞作家にかかわりないところで、日本文学にある美的理念に、伝統的曖昧さがあるとするなら、それは曖昧と呼ぶべきかどうか問題ですが、そこにはぼかし模様の美をほめることがあるでしょう。

はっきりしないということですが、そこには陰翳を求めても好いでしょうし、光と影が交錯して薄墨色になるぼやけた状態を、かすかなるものとすることがあります。日本語の曖昧は、このような判然としないかたちをさしていたのですが、近年、ことばを翻訳の概念から違った意味で用いることもあるようです。それはAであるのか、Bであるのか、どちらつかず、です。

このあいまいさは、これは立場を表明することを求める議論などでは具合の悪いことになります。はっきりしないのは、どっちつかず、どちらにもくみしないことになるので、これを、日本では中道という、中立と言う概念でとらえようとします。しかし、これまた中国のことばの中庸という概念を日本の風土に合わせて使ってきたためにでき上がったことだとなるでしょう。

曖昧と、右左の、まんなか、さらには、ぼやかした態度となってしまうと、そこにはさまざまな問題を抱えてしまいます。それをひとつひとつ指摘することはできるでしょうが、なぜそうなってしまったかを解明するのは、困難なことです。そこには自然をありのままにいつくしむ民族の心がありました。いま、ここまでは、ことばの問題として以上のように話をしました。

曖昧さに美しさはあるでしょうか。それは染物の暈しにはあるでしょうから、それは、自然風土にある天候の晴れ間と雨降りと、そして曇り空に、それぞれが象徴されるでしょう。そこに天気の自然があって、微妙な変化に継承してきたわけです。それがことばに表現されると、どうなるか。日本文学は短い語句の中にそれをたくみにあらわし、美の追求としてきたようです。

それでは、そのような美しさや曖昧さに文学の美的理念の淵源を求めていくと、文学の伝統にあらわれる日本の情緒については、何が見えてくるでしょう。そこに、文学と言語の問題に行き当たることになります。それをとらえて、白居易の日本文学への影響を、源氏物語と長恨歌、日本文学の時代、文学表現と言語、そして文学の影響とみて、話をしてまいりましょう。