20060219 愚かなり
晴れた、日中は10℃予想、明け方は1℃だった。
まぶしく陽の光が踊る。
花便りも聞え始めた。
地の虫が目覚める。
暦で雨水、冷え込んだ朝だ。
24節季72候、これが旧暦なのか新暦なのかと悩むことがあった。
いかにも命名が古式然として解説も暦の上でのフレーズがついて回ってきた。
ふと気づいたのは太陽の運行にあわせたことであるので、知ってみればいつも新暦の何日頃と、日を当てていたことだ。
さらには旧暦の太陰、月の動きに対して、これはもとより太陽の運行であるかと、すると新暦に符合する、さらには周期を見るのは今の1年365日の等分だから、もっとも季節にふさわしいのだ。
そう納得すれば15日ごとの気の動きに配した季節感はこの地に住む、わたしたちの知恵だ、と改めて確認する、なんとも、うといことだった。
市場原理信奉者という一文を読んだ。
ときの話題をさらう数学者、藤原さんの明快な論理だ。
たとえば、勝ち組負け組みと言ってもてはやして、それを半々だと考えるのはちがって、勝ち組は1割、負け組みは9割だと言う、数学者がそういうのだから論理的だろう。
負けは負けで、負け続けるからだそうで、勝ち残るのは確かに敗者復活でもなければ、負けが込んでいくだけだ。
武士道精神をかねてから称揚して、日本型資本主義の発展を願っておられるようだが、市場原理主義がアメリカ社会のまねであるところに、社会の構成にふさわしい主張をしている。
それはなにか、日本人の持つ、惻隠の情にある、指導者が持つべき心根だ。
明治以降、とりわけ昭和に入って日本が変化している見かたは司馬さんと通じるところがあり、幕末にあった日本国内の秩序を典型に重んじての捉え方だ。
キーワードをたどるなら日本型資本主義のあり方こそが世の見本となるべき由、経済のグローバリズムにあわせるには、どうするかであろう。
それにしても、リーダーシップではない指導者論がひつような時勢なのである。
文科省の調査を、近所の子供でもオトナ叱った61%、叱られたと感じた子供18%と、開きがあることについての報道を書いたことがあった。
要は、大人の考えが子供に伝わっていない、ということであった。
それを、認識に差とするか、ずれとするか、それはいずれでもいいような表現だが、中日新聞を見て書いたときと、日経新聞を見たとき、すなわち次ではニュアンスが違ってくる。
困ったときのオトナの対応で、いじめられているのを助けた42%、助けられたと感じている子供は19%だった、という取り上げ方である。
中日新聞記事を見たときには、さきのあとに、いじめのパーセンテージも出していて、日経が続く記事にも、同じ内容を書いている。
困ったときに相談に乗っていると思っている大人は36%、相談に乗っていると感じている子どもは23%だった、というものだ。
あとは共通した記事であるので、違いは以上であった。
それだけのことであるが、叱る行為を取り上げて6割がそう思っているのと、いじめを助ける行為を取り上げて4割がそう思っている、というのでは、内容に大きな違いを感じてしまった。
記事が書く調査は14日のこと、3000人の小中学生と保護者2900人の回答は、ほかに、良いことをしたらほめている53%、ほめられている46%、であった。
もう一つ記事には、オトナが子育てをする上で地域の中で力を入れるべきは安全確保が67%、異なる考え方や年齢の人ととの交流が36%、子供を伸ばすための活動8%、これが、日経では、学力を伸ばすための活動8%、と紹介している。
オトナの、保護者のことだが、3人に1人は異なる考え方の人と付き合うが、あとの2人はそう考えない、という結果に改めて、起きた事件、幼稚園児の殺害を思ってしまった。
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