オンライン授業8
回を重ねて、オンライン授業に少し、なれたが、考えてみると、リアルタイムでフルタイムをやるのは、ほかにないのではないか、と、受講生を気遣う。オンデマンドを90分内容として、録画録音をすることはない、と考えてしまう。番組でもあり得ない。それだけに、受ける側の選択する時代、メデイアに限らず、そこにはよりデジタル化した知識教養として位置づけられて、送り手側の思惑は伝わらない可能性がある、ということは、まともに、リアルタイムで対面授業することは、受け手側に与える負担が想像以上に大きいことと思わざるをえない。ここ2週ほど、それを思い続ける。
句構造
2019-07-01 | 日本語文法
うつくしい たのしい 形容詞を単位文に、そのまま語で文をつくるとする議論は、なぜ生まれてきたか。さすが、語単独では文との境目がなくなるから、うつくしい! たのしい! というように、あるいは、うつくしいわ たのしいね となる、感嘆符号、国語の終助詞をつけたりして、それを文の成立に条件とする。ひと昔前には、うつくしいこと たのしいこと として、連体言の感動を表す体言止めと見てきたもの、それもまた、うつくしいことよ たのしいことね で表現する句のように省略があると認めてきたものであるが、句はそれにとどまる、この感動を表現した文が成立していたものである。一語文議論に動詞を挙げているのは時枝学説であったし、体言のままに喚体としていた山田学説などを追えば、そこには文法学説の前提となる議論があったのであって、時枝学説には言語過程説による句構造があったから、一語を文章論までにも展開した仮説であった、その立場による理解にはそれなりに議論の枠組み全体からどうとらえるかを理解することができたのである。
形容詞文と喚体
2019-06-30 | 日本語文法
喚体と述体とは、それぞれ喚体句と述体句とした山田文法の用語である。喚体句に形容詞による述語文および名詞また体言止めによる文が関わるので、形容詞文と喚体とすると、形容詞の述語文と形容詞による句の違いをとらえておきたい。まず山田文法の学説はこの2類の句を分類して、その分析による議論を国語学に起こして、未だに述体句が述語文であると同様に喚体句が文であるかどうかの決定をみない。しかしまた、これを感動文の言いをもって文分類に見ることが行われてきているようである。議論は山田学説に取り上げてきた日本語文法の解決困難な問題であるから、その根本にある事柄を考えてみる。
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