20060129 月末の日曜日

ymksk




1月の月末、日曜日、ゆっくりと陽がうつるようになった。
気温が上がって、あたたかくなってくるといい。
ライブドアショックと事件と、メディアの対応と選挙をふり返った、取りざたがある。
いまさらにとするのは、改革をとめるなとの先棒はマスコミにあったからだ。

小泉首相はまた詭弁を弄した。
繰り返し言ってきたことをまたかという感じがすると、言いたくもなってくる。
虚言を平気で言う人だ、ったが、またまた、おなじか。
中国、韓国以外に靖国参拝をするなという国はどこにもない、と。

かつて大量兵器や核弾頭がどこにもない、どこにもないからといって、ないとは言えない、あるかもしれないから、というような論法で、同盟軍に同調して軍を派遣した経緯がある。
かなりおかしなことで、物言いも何も、なにもなかったことがわかって、その後のことに考慮していない。
どこにもないことが証拠にならないといってきた論法の人は、同じ論法で、自分の靖国参拝を止めようという国はほかにはどこもない、ないと言ってきた、が、ないことが証明できずにいても、あるかもしれない、と、かつてそう言い続けたことがあてはまる。
諸外国が言うか言わないかどうかはともかく、言われていても知らないとすることはできるわけで、それか、気づかないとか、そういうことなのだ、という結果が予測される、すでに小泉首相の参拝で懸念される表明はいくつも論評されてきている。

テレビの朝のニュースショーでコイズミさんの言葉使いに、その時々の使い分けがあることを指摘する人がいた。
そして若い人にはまねて欲しくないとも。
国際の意味がブッシュと仲良しのときはアメリカ社会で、靖国のときは中韓が国際情勢となっている。
論理のすり替えはもとより、その場しのぎと、言い逃れはもうすでに、いくつも明らかで、虚言が作った虚飾の社会構造は虚構となって、カンの努力を評価しなかったミンへの改革のイメージは、だんだんと程遠くなっていく。


春節を中国サイトのHPからコピーした。
エンコード中国語で読んで、まずはマルティ翻訳を使った。おかしいけれど、いかが?

旧暦の元旦は中国が特色の伝統記念日を最もをもっているです。
(それ示す旧暦古い一年終わる )。
新しい一年はもう始まる。
人々は寒くて単調冬季を暇乞いをする、満ち溢れる春生気生きる機会は迎える。
旧暦の元旦原名"元旦"、隋の代のが台高官名を絶やす"五蝋燭貴重な書物"中は話している:"正月は正月とする"、そのうちの一つ日は日とする、雲は向く、雲の元ついたち。
元"本意はとする"頭、(後意味をおし応めて言うに(ために)"始まる" )、この一日は一年の頭一日ですだから、春季頭一日、正月頭一日、だから"三元"と呼ばれる;
この一日は歳が向くですだから、(今月の向く )、(日向く )、だから"三日目"にとも入言う;
またそれは第一つ陰暦のついたちですだから、だから"元ついたち"にとも入言う。
宋ごの放牧することから"夢のはりは記録する"の中に解釈:"正月の陰暦のついたち"、いう元旦。
"字が文字を解けると話す"中は"朝"文字の解釈に対して"(から日一日と一のうえに )"に(ために)、一、(も )。
"(表す太陽から地平線ただいま上升起 )"、朝の意味です。
それは別別に一年の第一つの朝を表すだから、正月の第一つの朝、だから"元旦"と"陰暦の元日"をはかる。
上述の名称のそとを除く、旧暦の元旦まだ"年始め(来年)"と"始めて"と"芳しい歳"と"中国歳"などをはかる、いろいろな名称の中に"元旦"をはかるとして一番普遍的です、時間の最長久。
のために各朝の暦法は違う、元旦所在の季節はも同じでない。
中国の古代の暦法は陰陽が合い経つことです、同時に太陽と月の位置に考えるに要る、昔の元旦に確定する時、真っ先にそれに確定する季節に(で)要る、それからまたとこの季節接近している陰暦十一月をとして選定する。
一歳と 12個陰暦ため同じではなくてもの並行する、約 11日(そら)に相違する、昔のおきに 3年は設立の一つ閏月が季節を調整するに要る。
中国の上古の天文学者が一つ簡便な方法を思いだしたかつてのは月の順序と季節の関係を判断する、このすなわち夕方時として北斗七星の柄にあたる部分の三つの星のほうかくを指示するは月の順序をきまる、十二月と呼ばれるのは建てる。
北方地区から東に変わる、12個方位を地面に分ける、(夕方時北斗七星の柄にあたる部分の三つの星は指さす方位 )、その月月が建てることです、其れの子月とみにくい月ととら月は別別に十一と十二と正月に相当する。
中国は古い多民族国家です。
違う歴史時期の違う民族の全て(皆)かつて自分の文化に基づいて伝統の和風俗の習慣は自分の元旦に確定した、即ち"ついたち"を改める、月の始め一の時間を改正する。
代わる正月 (として春の初めの月全て(皆)上古の帝王の名の天下に王たる者と夏とする元 )、建子の陰暦即使用、旧暦として月の始めは元旦していると;
商売代は豊富経つことを使って、豊富建子に経つ、旧暦十二月の始めとして元旦とすると;
ひと回りする代はひと回りするを使って経つ、ひと回りするは建設完了の子に経つ、旧暦十一月の始めとして元旦とすると;
朝代名代は朝代名を使って経つ、朝代名は亥(ブダ)を経ち建てる、旧暦初一として元旦とする;
前漢前期は朝代名を使って依然として経つ、とても (漢の軍事の天下に王たる者とても天子即位の初め年 (西暦紀元 104年)改めて用いる姓変化する。「復姓大きい創作するの始め経つ )、改める建子の陰暦を使用する、旧暦として月の始めは元旦していると。
それから王の外にモンと戦国時代の国名明るい天下に王たる者は一回建子が豊富経つもの改めて用いる、ラン科植物などの花茎のひと回りするを改めて用いるの唐の軍事後と恭しい宗時はそとに経つ、末年陰暦を清朝各朝の平均至るまで使用する。
"旧暦の元旦"これ一詞、時期 (違う歴史に(で)なくて )、違う特にさすがまだある。
漢王朝時、人々は"旧暦の元旦"を二十四節気の第一つ立春をはかる。
南北朝鮮時、(人々束全部春季呼ぶ"旧暦の元旦" )。
辛亥革命は勝利を収める後、南京の臨時の政府は"農期に従う"と"便利な統計"ために、規定は民間に(で)陰暦を使用する、政府の機構(機関)と工場と鉱山と学校と団体の中に西暦を実行する、西暦の正月一日として元旦とする。
しかし一般的な人称の西暦の正月一日は"陽歴年"とする、"元旦"を旧暦正月一日初一をはかる。
1949年 9月 27日、中国人民政治協商会議第一期全体会議は世界のうえにを使って通用する西暦紀元を通過する、即ち陽暦正月一日 (西暦束決定する元旦 )、新年とする;
(旧暦月の始め一通常全て中に立春ごろ )だから、だから旧暦を束月の始めはきっと"旧暦の元旦"している。
旧暦の元旦普通と大晦日を月の始め一指さす。
しかし民間に(で)、八のろう祭りと旧暦の12月 (のうえに旧暦の元旦指さすから臘月初伝統意義二十三のかまど祭 )、ずっと正月十五、そのうちは月の始めとしてと高潮していると。
旧暦の元旦期間 (この伝統記念日に(で)なくて )、我が国の漢民族と大多数少数民族は各種の活動を行おう慶祝をもってを表そうが皆有ります。
(これらの活動の平均として祭る神ほとけ。「弔う祖先。「古いのを除き新しいのを立ち迎え吉祥接する幸福。「請い願う豊年とする主な内容 )。
多種多様であるに活動する、濃厚な民族の特色につく。