20051201 師走つきたち
師走になった。
一年の最後の月であり、区切りをつけて新年を迎える準備に忙しい月
とは、今日は何の日にある。
氷点下前後の冷え方だ。
寒くなっていく。
12月の異名は、毎年同じところを引用して、
普段は落ち着き払ったお坊さん、禅師も忙しさのために走り回る、ということからきた名だとか。
と説明があるのを、ウイキペディアで見ると次のようである。
**** 引用 ****
旧暦12月を師走(しわす)と呼び、現在では新暦12月の別名としても用いる。
「師走」の由来には諸説ある。一般には、12月は年末で皆忙しく、普段は走らない師匠さえも趨走(すうそう)することから「師趨(しすう)」と呼び、これが「師走(しはす)」になったとされている。
師は法師(お坊さん)であるとし、法師が各家で経を読むために馳せ走る「師馳月(しはせつき)」であるとする説も一般的である。
また、「年果つる月(としはつるつき)」「為果つ月(しはつつき)」が「しはす」となったもので、「師走」は宛字とする説もある。
「三冬月(みふゆつき)」などの別名もある。
英語での月名、December(ディセンバー)は、「10番目の月」の意味。
実際の月の番号とずれているのは、紀元前46年まで使われていたローマ暦が3月起算で、(そのため年末の2月は日数が少ない)3月から数えて10番目という意味である。
7月と8月にローマ皇帝の名が入ってずれた、という説は俗説らしい。
** 引用 終わり **
また、何の日によると、旧暦では冬の終わりにあたるので、春待月、梅初月の名もある、という。
風花(かざはな)、雪起こし、寒波、根雪、歳暮、年の瀬、年越し、おけらまいり、なまはげ
日本人には宗教がないと言う。
若者は宗教に悪いイメージを持っていると言う。
日本の信仰はどうなっているのかと疑いに種は尽きない。
宗教を持つ人、もう少し厳密に言うなら、信仰心を持つ人には不思議なのだろう。
仏教に救済がないわけではない、鎌倉以降の日本仏教には救済をとく。
あまねき光明をたたえる阿弥陀経を読んでひとりの教祖は語った、とその弟子が伝える、善人なおもて往生す、いわんや悪人をや、と。
現世利益はすなわち功徳の因果であり、来世は生まれ変わりの再生である。
宗教が宗教であるために教義を持つ、とは、考えるわけではないが、仏教の経典はそのように扱われるごとく、漢訳をとりいれることで、経論釈を教義とした。
日本にも宗教があり、信仰がある。
信仰心、ときに宗教心と、わたくしには言ってきたが、これをこれほど強くもっている、と説明できるが、それが何に対してか、偶像であったり、見ぬ世界であったり、預言者の教えであったり、するということがない、そういうことがいえない。
救済を求めてか、あるいは精神の支えとしてか、日のてるまま、風の吹くまま、雨の降るままに、日のめぐりにあわせて、気という天気をうかがい、海を眺めては、山を眺めて、日常の予兆を得てきた民族である。
ただ信仰の生活に入るということがどういうことなのか、宗教を持つということがどういうことなのか、これほどに厳しいみかたをする、どれほどに、宗教における、宗派宗祖に対する弾圧の歴史を、宗教が始まってからずっと、見つづけてきたのではないかと思うほどに、信仰がある証左として激しく受け止めてきたのだ。
ふつうに宗教があり、それはまつりごとであった、まつりごとはすなわち、政治である。
宗教と政治がともにあり、宗教が分離してこのかた、為政者はそれでも宗教を利用するものと、政治に扱ってきたかのごとくである。
日本人の宗教を信仰の枠で見るか、そこに入れてしまうか、あるいはそれを広くしたつもりにおいて、宗教心との見方をもって人間の精神生活の営みを見ようとするか、ことばだけならば、日本的宗教を連想する。
はてさて、解脱の方法も救済であったと知る。
2005年12月1日午後6時、ユーキャン新語・流行語大賞審査委員会は今年の新語・流行語大賞のトップテンおよび大賞を発表した。
小泉劇場
自由民主党幹事長 武部勤 さんほか4名
想定内(外)
ライブドア社長 堀江貴文 さん
クールビズ
環境大臣 小池百合子 さん
刺客
該当者なし
ちょいモテオヤジ
LEON編集長 岸田一郎 さん
フォーー!
タレント レイザーラモンHG さん
富裕層
すみしんウェルスパートナーズ社長 田中嘉一 さん
ブログ
「鬼嫁日記」のブロガー カズマ さん
ボビーマジック
千葉ロッテマリーンズ サブロー さん、今江敏晃 さん
萌え~
秋葉原のメイドさんグループ 完全メイド宣言 さん
一年の最後の月であり、区切りをつけて新年を迎える準備に忙しい月
とは、今日は何の日にある。
氷点下前後の冷え方だ。
寒くなっていく。
12月の異名は、毎年同じところを引用して、
普段は落ち着き払ったお坊さん、禅師も忙しさのために走り回る、ということからきた名だとか。
と説明があるのを、ウイキペディアで見ると次のようである。
**** 引用 ****
旧暦12月を師走(しわす)と呼び、現在では新暦12月の別名としても用いる。
「師走」の由来には諸説ある。一般には、12月は年末で皆忙しく、普段は走らない師匠さえも趨走(すうそう)することから「師趨(しすう)」と呼び、これが「師走(しはす)」になったとされている。
師は法師(お坊さん)であるとし、法師が各家で経を読むために馳せ走る「師馳月(しはせつき)」であるとする説も一般的である。
また、「年果つる月(としはつるつき)」「為果つ月(しはつつき)」が「しはす」となったもので、「師走」は宛字とする説もある。
「三冬月(みふゆつき)」などの別名もある。
英語での月名、December(ディセンバー)は、「10番目の月」の意味。
実際の月の番号とずれているのは、紀元前46年まで使われていたローマ暦が3月起算で、(そのため年末の2月は日数が少ない)3月から数えて10番目という意味である。
7月と8月にローマ皇帝の名が入ってずれた、という説は俗説らしい。
** 引用 終わり **
また、何の日によると、旧暦では冬の終わりにあたるので、春待月、梅初月の名もある、という。
風花(かざはな)、雪起こし、寒波、根雪、歳暮、年の瀬、年越し、おけらまいり、なまはげ
日本人には宗教がないと言う。
若者は宗教に悪いイメージを持っていると言う。
日本の信仰はどうなっているのかと疑いに種は尽きない。
宗教を持つ人、もう少し厳密に言うなら、信仰心を持つ人には不思議なのだろう。
仏教に救済がないわけではない、鎌倉以降の日本仏教には救済をとく。
あまねき光明をたたえる阿弥陀経を読んでひとりの教祖は語った、とその弟子が伝える、善人なおもて往生す、いわんや悪人をや、と。
現世利益はすなわち功徳の因果であり、来世は生まれ変わりの再生である。
宗教が宗教であるために教義を持つ、とは、考えるわけではないが、仏教の経典はそのように扱われるごとく、漢訳をとりいれることで、経論釈を教義とした。
日本にも宗教があり、信仰がある。
信仰心、ときに宗教心と、わたくしには言ってきたが、これをこれほど強くもっている、と説明できるが、それが何に対してか、偶像であったり、見ぬ世界であったり、預言者の教えであったり、するということがない、そういうことがいえない。
救済を求めてか、あるいは精神の支えとしてか、日のてるまま、風の吹くまま、雨の降るままに、日のめぐりにあわせて、気という天気をうかがい、海を眺めては、山を眺めて、日常の予兆を得てきた民族である。
ただ信仰の生活に入るということがどういうことなのか、宗教を持つということがどういうことなのか、これほどに厳しいみかたをする、どれほどに、宗教における、宗派宗祖に対する弾圧の歴史を、宗教が始まってからずっと、見つづけてきたのではないかと思うほどに、信仰がある証左として激しく受け止めてきたのだ。
ふつうに宗教があり、それはまつりごとであった、まつりごとはすなわち、政治である。
宗教と政治がともにあり、宗教が分離してこのかた、為政者はそれでも宗教を利用するものと、政治に扱ってきたかのごとくである。
日本人の宗教を信仰の枠で見るか、そこに入れてしまうか、あるいはそれを広くしたつもりにおいて、宗教心との見方をもって人間の精神生活の営みを見ようとするか、ことばだけならば、日本的宗教を連想する。
はてさて、解脱の方法も救済であったと知る。
2005年12月1日午後6時、ユーキャン新語・流行語大賞審査委員会は今年の新語・流行語大賞のトップテンおよび大賞を発表した。
小泉劇場
自由民主党幹事長 武部勤 さんほか4名
想定内(外)
ライブドア社長 堀江貴文 さん
クールビズ
環境大臣 小池百合子 さん
刺客
該当者なし
ちょいモテオヤジ
LEON編集長 岸田一郎 さん
フォーー!
タレント レイザーラモンHG さん
富裕層
すみしんウェルスパートナーズ社長 田中嘉一 さん
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