1104 2025

ymksk


14年前、記事にこのころの病が見える。



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あったかい日、しのぎよいけれど編集する

2011年11月04日


最低気温が下がらなかったので太平洋高気圧の影響つよく気温が押し上げられた                                                            

ここしばらくのようで季節外れの高気圧の名前も聞かれなくなると気温は下がる

上着を一枚脱ぎたくなるような日中の温度に、え、夏日だって、と言いたくなるよ

11月の霜月は4日を数えるのも、あ、あっというま、2日の出勤で前後調整をした


1日、2日とあさがたとった痰を日赤に検査のためにその日に届けた

先週28日の診察によってそれが振り出しに戻ったかのような日々で

言われれば苦しいのかもしれないし複合した痛みはあるし疲れるし

命を見つめ体調を知り自己回復を願ってはみるンだけれどまた一から


人はわたしを見て以前とまったく変わらない様子でいるので何があったかと

それはフツーにいろいろと接してくださってなんともないようだ、ありがたい

それをわざわざ予後30日だとか40日だとか言うのも変なことだと思って

体内の時計に月日が加わってちょうど50日目を経過するうちとなった


起こったことはやはり判らないことだらけで一番それを知るのは

患者本人だとの自覚を持ってしてもいま放り出されてしまっては

何が起こっていると自分を見つめるしかない日常に変わらずいて

論文がああだこうだとか締め切りがいつかとかすべきは気にして


何があっても変わらない平常心にさらなる試練が来るなら

この強気も早晩店じまいをせざるをえないようなことであろう

閉店ガラガラは時間の切り目であってその内側にあっては

てんやわんやであるかどうか、疾患と疾病となるとヤッパ病気か


ブログは愚痴になるとブロガ―仲間が言っていたので

それはしかりとわが来し方を振り返って反省をしてみて自分では

わりとそうは思っていないつもりでもそうなってしまうことはいなめない

ブログの公開日記に何を期待しているかと電子の危うさを思い出す


非公開にしたからといって書いている内容がふえているわけでも

それが愚だ愚だとまたこのように書きつけているわけでもないのは

過ぎゆく日の苦しさの中に書けない事実が積み重なっていてそれは

またこれまでの書けない日々と同様なので空白の日はそうでしかありえない


くるしいことやつらいことやいたいことは別に書きたいとも思わずそれがあたりまえだろ

いきなり生老病死をなやんでみせてその煩悩を取り除くための言葉を紡いでみせても

釈迦、釈尊、仏陀など尊者のほうにおまかせで、それでも結構やってきたなぁ、生きよう、とか

ここに書きつける事実が公開の範囲を超えるとそれはおのずと非公開になるだけであって


とくべつなことがあるわけではない

そのとくべつをかくべつにしてみて

思えば2011年は奇妙なことだ

世間の風水害地震原発もおもうと


わがことにも部下の裏切り研究室移転騒ぎに発症していたのは多発関節炎という

恐ろしい命取りの細胞が自らの細胞をやっつけるという自己免疫不全だった

そこにくわえていっぽうでまた体内の不調を見ず知らずに起こしていての手術と

あいなって健康診断で見つかってよかったとかいう程度ではないしろもので


この年齢にして生きるか死ぬかなどと考える暇もなくなにが起こったかと

あり得ない事実とその連続に気付くとよくよくいきているものだとばかり

結果何も起こらなくしてしまって気づけばもともとの黙阿弥とあいなって

ただにふつうに過ごしているだけなのであってわたしには変わりようがない


お前の人生は65年だと言われたのかと思う一方でそれはまた年金をもらうことかと

切って貼って寝ていても起きだしたときにはまずはじめに年金事務の手続きだった

2所も3所もあって年金機構の方から大変ですよと言われてそのままに大事の前にと

手続きを済ませていたから起きだした退院後にはすぐにも手続きの継続で、それはもう


支給でありながら受給できない全額停止の手続きという

これまたなんのためにやっているのかとおもわせるが

それはそれでまたフツーーにそれらしく済ませて

結局給与生活者の継続状態つまり給付なしとなり


生きている限りは働き続けよとのお達しだ

そんななかで高額費用の手術には保険が

効いて3桁はかかるであろう2週間にも

生きて帰っての現実は共済に助けられた