ご機嫌さん!

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熱中症まがい、熱は出ないがクビあたりからアタマに熱がこもったようになって汗を出しながら昼寝、この時は涼しいのがいいが、エアコンはクワバラクワバラとなる。
脳が壊れないように、なんとか・・・

朝起きると、肩こりの痛み、これは痛いと思って目覚める。血流を妨げる寝相の悪さなんだろうけれど、肩凝りにも疲れがある。往復120キロほどの運転もある。
片道2時間近くを走行するのに休憩なしと無茶なことをする、バイパスの流れで一本道、知る人ぞ知る国道23号を名豊一直線と走る。
そのときの疲れというならもう2日を経過して回復のはず、そこに蒸し暑い毎日で調子がおかしくなる。

ご機嫌さんはいつからこう言うようになったか。あいさつの言葉は様々、人世の使い方であるから、難しいが、すぐにも思いつくものでもない。ごきげん‐うかがい[‥うかがひ] 御機嫌伺の用例は、18世紀になる。

>もと「譏嫌」と書き、そしりきらうの意。仏教で、他人の「譏嫌」を受けないようにする戒律「息世譏嫌戒」から出た語。のちに「機」が、気持ちに通じる意を生じてから用いられるようになった。  デジタル大辞泉

>本来は仏教語で「譏嫌」と書き、譏(そし)り嫌うの意で、世間の人々が嫌うことをさしたが、のち意義が多様に分かれ、それとともに「機嫌」とも書くようになった。「嫌」の字を「げん」と読むのは呉音(ごおん)による。  ニッポニカ

>「機嫌」は古くは「譏嫌」と書く戒律の名前でした。正しくは「息世譏嫌戒(そくせきげんかい)」といって、世間からお坊さんが機嫌悪く思われることを息(や)めさせる戒めだったのです。 
 「譏嫌」の戒め  酒を飲まないこと 五辛を食べないこと
 やがて「譏嫌」は他人の内心や思惑などを指すようになり、さらに「起居」「安否」「様子」と意味が徐々に拡大して、今の「機嫌」となりました
   https://www.komajo.ac.jp/uni/window/japanese/ja_diary_teacher_16001.html

 広辞苑、用例に
>
③様子。事情。起居。安否。義経記2「京の―をぞ窺ひける」
④他人が心のうちにいだく思惑おもわく。意向。人の気受け。十訓抄「―を憚はばかりて和かに諫むべし」

機嫌の意味は仏教語をもとに、語用を文字の書き換えから変じたと説明することが行われている。
が、仏教語の説明は良いとして機嫌となったというのは我田引水に近い解釈である。
次のようにもっともらしい。しかし、よく読むと、徒然などの用例にも僧侶がそう書いたのは戒だけのことでない、譏嫌戒のことではないから、もともとに起源とする語の用い方をしていると知るべきであろう。

*徒然草〔1331頃〕一五五「世に従はん人は、まづ機嫌を知るべし。〈略〉但し、病をうけ、子うみ、死ぬる事のみ、機嫌をはからず」

その使い方はすでに漢字の字義、機の文字にあったものとなる。

>大乗の『涅槃経』では「世の譏嫌を息(や)めさせる戒」という意味で「息世譏嫌戒(そくせきげんかい)」と呼んでいる。
  智慧の宗教である仏教は「智慧を具足し、予め譏嫌を見る」ように勧める。戒を定めて世間の譏りを避けるのは次善であろう。あくまでも世の動向を見極め、何を行うにも時機や機会を誤ってはならない。そこで譏嫌が機嫌と書かれるようになったと考えられる。『徒然草』に「世に従はん人は、先づ機嫌を知るべし」とある。この<機嫌>がやがて人の気持ちや気分の良し悪しを意味するようになる。
  ほろ酔いの一杯機嫌も結構だが、度を超すと世の譏嫌を招く。仏典は「当(まさ)に譏嫌を護りて衆生をして妄(みだり)に過罪を起こさしめず」(『起信論』)と説く。自覚して譏嫌を護るべきだが、つい迎合して機嫌を取る。何につけても自重し自戒すべきである。
  https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000r7l.html

日本国語大辞典 スニペット
>1. 機嫌 日本大百科全書
本来は仏教語で「譏嫌」と書き、譏(そし)り嫌うの意で、世間の人々が嫌うことをさしたが、のち意義が多様に分かれ、それとともに「機嫌」とも書くようになった。「嫌」の
2. き‐げん【機嫌/譏嫌】デジタル大辞泉
[名]1 表情や態度にあらわれる気分のよしあし。快・不快などの感情。気分。「―がよい」「―を損ねる」2 人の意向や思わく。また、安否やようす。「―をうかがう」
3. き‐げん【機嫌・譏嫌】日本国語大辞典
〔名〕(1)(譏嫌)そしりきらうこと。世人の嫌悪すること。*今昔物語集〔1120頃か〕七・四四「道〓が云く、聖人は食を要し給ふ事无(な)しと云へども譏嫌(きげん
4. 【機嫌】きげん角川類語新辞典
褒められて機嫌がよい。機嫌を取る[機嫌を直す] ○快・不快の気分。他人の思惑(


日国大の語誌に、次のようである。
>語誌
「譏嫌」が本来の用字と思われる。「随筆・安斎随筆‐一六」に「言偏の譏の字を用いて譏嫌と書たるは〈略〉人に譏られ嫌らはるると云事なり。木偏の機字を用ひたるとは別の事なり」とあって、「譏嫌」と「機嫌」を別語としているが、疑問。(1)を考慮するところから(2)の意が生じ、(2)を見はからうために(3)の意が生じることになったと見られる。

この説明は折角、「「譏嫌」と「機嫌」を別語としている」随筆をひきながら、ただ存疑にしてしまって、意味内容の変遷を語義解釈の並びにだけなぞらえているからこれこそ疑問となる。語釈の(1)を考慮する、というのは、譏嫌戒などの語であり、(2)の意が生じ、というのは、用例を見る限り、何ら根拠がないことになる。

この辞書の項目見出しにすでに、広辞苑もそうであったが、日本国語大辞典 き‐げん 機嫌・譏嫌 解説・用例 というふうに並列していて、編集が意図せぬところで語誌の解説がこじつけとなってしまっている。

なお、字通の解説には、
>「玉篇」に「弩牙なり」とする。のち関鍵に用いるものを機関、戸枢に用いるものを枢機、織物に用いるものを機杼といい、すべて機構的なはたらきのあるものをいう。人事に施して機変・機略・機心、自然の霊妙なはたらきを天機という。
と見える。
この機の文字にはさらに、訓義に次のようであるから人々にこの文字遣いで知るところがあったたろう。
>
[2] はたらき、はたらきのある構造のもの、からくり、しかけ、とじきみ、くるる、かぎ、はた、わな。
[3] たくみ、いつわり。
つまりは、
>心のうちにいだく思惑おもわく。意向。人の気受け
これを意識した言葉である。

挨拶語となった経緯には文字そのものの字義による使い方がある。
そしりはいやよ というのか、
からくりはなしよ というのか、
仏教語の用法には禅語のかかわりからすると玄関など文字の意義は強く残るのがふつうである。