不安な7
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2020年10月5日 科学
「学術会議任命拒否」(上) 背景に軍事研究参加への圧力 戦前の軍国主義科学にのみこまれるか
瀬戸際の学術・文化
投稿者: 田崎耕次
> 菅義偉政権が日本学術会議の新会員の候補6人の任命を拒否した事件の異様さは、ウォッチドッグ21でも既に2氏が書いているが、1983年から84年の学術会議「大改革」なるものを取材した者として、何点か指摘したい。
戦前の軍事協力への反省から生まれる
第1点は、学術会議は戦前の軍事に協力というか、飲み込まれてしまった日本の科学に対する反省から生まれたことだ。軍部と軍国主義政権に支配され「学界ボス」が仕切ってきた戦前・戦中の科学界の反省から生まれたのが、1949年1月の第1回総会で採択された『日本学術会議の発足にあたって科学者としての決意表明(声明)』であり、当時のGHQ(連合国軍総司令部)の意向が強く働いた「科学者による会員選挙(公選制)」だった。
安倍・菅政権の強権的な政策に批判的な科学者6人(いずれも人文・社会科学系)を排除した背景には、軍事研究参加への圧力があることは間違いない。このまま見過ごせば「戦後レジュームからの脱却」を掲げる安倍政権を継承する菅政権によって日本の科学、ひいては文化、社会全体が戦前のレジュームに戻されて仕舞いかねない危険性がある。
学問の民主化求めるGHQの意図で設立
日本学術会議が長らく「科学者の国会」と呼ばれてきたのは、当初は科学者たちが自らの手で会員を選出するという公選制だったためだ。当初から定員は210人で、当選した会員は非常勤特別職の国家公務員となる。
戦前の科学界の反省から生まれ、公選制となった経緯を簡単に振り返ってみたい。第2次世界大戦(太平洋戦争)時の科学動員は1937年に設立された企画院に39年「科学部」が新設されたころから急展開する。41年5月には「科学技術新体制確立要綱」が定められ、「高度国防国家完成の根幹たる科学技術の国家総力戦体制を確立し、科学の画期的振興と躍進的発達を図る」として、翌42年には技術院と科学技術審議会が公布施行され、科学の軍事動員への法的位置が定められ、多くの科学者が戦争に協力した。
こうした科学の軍事動員に目を光らせていた連合国は、日本占領直後の1945年に米国から「科学情報調査団」を派遣して、全国の科学者コミュニティーを調べ上げた。その結果、戦前に創設され、学界ボスが跋扈する日本学士院ではなく、新規に全科学を網羅する組織として、占領下の49年にGHQの「すべての日本の民主化」という流れに沿って創設されたのが日本学術会議でだった。
田崎耕次
共同通信OB、科学部長、編集局次長、社長室長、札幌支社長などを経て、最後は子会社の共同通信システムに。
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2020年10月5日 科学
「学術会議任命拒否」(下) 科学者の「軍事研究反対」への強権発動 謎解くカギは17年の討議に
投稿者: 田崎耕次
菅新政権が繰り出した、日本学術会議への会員任命拒否という露骨な攻撃が既に2018年に準備されていたと書いたが、なぜ、この時期に急に準備したのか。謎を解くカギは2017年の学術会議の「安全保障と学術に関する検討」論議にある。
学術会議は1950年と67年に「戦争を目的とする科学研究を行わない」との声明を出したが、「軍民共用(デュアルユース)」をどうするかという議論などが起き、あらためて検討し直したものだ。2017年2月4日には学術会議講堂に多くの聴衆を集め「安全保障と学術の関係〜日本学術会議の立場」とのフォーラムを開催、多方面の関心を呼んだ。同会議は3月24日、最終的に「1950年と67年の声明を継承する」との声明を発表し、軍事研究を行わないとしたが、文面の曖昧さにもかかわらず、軍事強化のため異論を排したい安倍政権に衝撃を与えていたらしい。
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