抗日戦争
抗日と抗日戦争、そして抗日戦争勝利記念日と、この語にはそれぞれ用法がある。
抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年と銘打つ語句にも表れる。
中国人民抗日戦争記念館に、日本軍暴行ホールなるものがあって、短絡すれば抗日は日本軍に対する抵抗であるという印象を持つ。
抗日戦争勝利の日を1945年9月3日とする。
これは対日戦勝記念日で見れば、ウイキペディアによると、連合国の第二次世界大戦における日本に対する戦勝記念日である、9月2日であるが、
Victory over Japan Day, VJ Day, Victory in the Pacific Day, VP Dayとも言う、略称としてはVJ Dayが一般的、通常は、大日本帝国政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した1945年9月2日を指す、と説明がある。
それに続けて、記念日にVEデー、Victory in Europe Day、ヨーロッパ戦勝記念日の1945年5月8日があり、枢軸国のうち最後に降伏したのが日本だったため、VJデーはすなわち第二次世界大戦の終結の日となっている、という。
>連合国の中華民国やソビエト連邦、連合国ではない中華人民共和国の対日戦勝記念日は、その翌日9月3日
抗日戦争戦区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/03/18 06:28 UTC 版)
抗日戦争戦区は1937年盧溝橋事件の勃発後の戦争情勢に対応するため、中華民国国民政府が中国国内を計画的に戦区に分画したものである。国民革命軍を主体として担当させたこの戦区の最初の所轄範囲は、長城以南とし、山西省、河北省、山東省、江蘇省を主とし、以後戦争の実際の状況と日本軍の占領区域を考慮して、1938年、1938年及び1944年の3次にわたり相当大規模な修正が行なわれた。この戦区の分画は主に陸軍の作戦を主とするものであった。
日中戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/07/04 14:38 UTC 版)
(抗日戦争 から転送)
日中戦争(にっちゅうせんそう)は、1937年(昭和12年、民国紀元26年)から1945年まで、大日本帝国と中華民国の間で行われた戦争である。大日本帝国政府は、勃発当時は支那事変としたが、1941年12月の対米英蘭の太平洋戦争開戦に伴い支那事変から対英米戦までを大東亜戦争とした。 中国側は、抗日戦争と呼称している。
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中国において、日中戦争における日本軍の非道さを世に伝えることを目的として設置された施設の総称。筆頭には北京市豊台区の「中国人民抗日戦争記念館」を挙げることができる。この他、中国全土に100を超える同種の施設がある。
北京市にある中国人民抗日戦争記念館は1987年に公開された。1931年(満州事変)から1945年(終戦)までの14年間に関する資料が収蔵・展示されている。記念館は「総合ホール」、「日本軍暴行ホール」、「人民戦争ホール」、「抗日烈士ホール」の4部分で構成されている。
经过五个多月的展览改造,中国人民抗日战争纪念馆定于2015年7月8日正式开馆,向公众推出“伟大胜利 历史贡献—
http://www.1937china.com/jp_web/
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館長のごあいさつ 日本語文
中国人民の抗日戦争は世界反ファシズム戦争の重要な構成部分であり、それは最も先に始まり、続いた時間も最も長く、世界反ファシズム戦争の東方戦場における主戦場でした。中国人民は世界反ファシズム戦争のためにきわめて大きな民族犠牲を払い、きわめて大きな貢献をしました。中国人民の抗日戦争の勝利は中国人民の日本軍国主義の侵略に抵抗する勝利ばかりでなく、同時に世界の正義と平和勢力の勝利でもありました。それは中国の民族独立に対し偉大な歴史転換の意義をもつのみならず、古い植民地的侵略と支配を変え、平和共存、公正で合理的な国際関係の新しい構造を確立することに対しても、同様に重要な影響を及ぼしました。
中国人民の抗日戦争は外部の敵の侵入に抵抗した、正義が邪悪に対抗した戦争であったことは疑いありません。それだからこそ、中国人民の抗日闘争は世界各国の平和と正義を愛する人々の大きな支援を得たのです。そして世界の侵略と反侵略という二大陣営の分化につれて、その対立は日ましに深刻なものとなり、中国と連合国は最終的に世界反ファシズム統一戦線を結成するとともに、最後の勝利を勝ち取りました。周知のように、この過程において、日本軍国主義は野心満々で、中国を征服することを通じて、さらに1歩進んで独伊ファシズムとともに、共同で世界を分割しようと企みました。中国人民が勇敢に抵抗し、中国戦場がずっと存在し、大量の日本軍に打撃を与え、それを牽制し、日本の侵略勢力を極めて大きく消耗し、日本軍国主義を中国戦場に陥らせて抜け出すことができず、根本から日本の戦略的企みを破壊し、反ファシズムの連合国に強力な支援を提供したからこそ、はじめて世界反ファシズム戦争の基本的な戦局を安定させ、連合国の勝利の重要な基礎を打ち固めました。この基本的な歴史事実は、いかなる歴史を尊重する人も認めるべきものです。これも中国が国連発起国また五大常任理事国となった基本的な理由です。
中華民族は歴史を重んじる民族です。歴史を尊重し、歴史の中から経験と教訓を総括することに長じることは、中華民族が苦難を嘗め尽くしたにもかかわらず、保ち続けている貴重な品格です。中国人民抗日戦争記念館はほかでもなく、中国人民の抗日戦争を記念するために建てられたものです。1987年の落成いらい、中国人民抗日戦争記念館は歴史を戒めの鑑とし、未来を切り開く主旨にのっとって、抗日戦争史の研究、展示、交流の活動を深く突っ込んでくり広げてきました。私たちは、侵略者に押し付けられた悲惨きわまる苦難を忘れるべきでなく、中国人民が国家の独立と人民の幸福を守るために流した鮮血、そのために払った犠牲と精神的意志を忘れるべきでなく、中国人民の侵略への抵抗に支持、援助を与えてくれた国や人々を忘れるべきではないと断固として思っています。私たちはいやがうえにも、歴史的悲劇をもたらした根源を深く提示し、人々に永遠にふたたび歴史の轍を踏ませず、平和・友好、調和のとれた発展を人々の共通の目標と祈願にしなければならない、と思っています。
私たちは、担っている使命と比べて、しなければならない仕事がまた多くあるということを十分に知っています。私たちは世界の平和と発展に関心を寄せている国内外の人々が、本館の仕事に関心を寄せ、ご支持して下さることを心から望んでおり、私たちがともに歴史の真相を広く伝え、歴史から受ける啓示を明示し、世界の平和を促すために自分なりの努力を傾けようではありませんか。
ウィキペディアより
抗日戦争戦区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/03/18 06:28 UTC 版)
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抗日戦争戦区は1937年盧溝橋事件の勃発後の戦争情勢に対応するため、中華民国国民政府が中国国内を計画的に戦区に分画したものである。国民革命軍を主体として担当させたこの戦区の最初の所轄範囲は、長城以南とし、山西省、河北省、山東省、江蘇省を主とし、以後戦争の実際の状況と日本軍の占領区域を考慮して、1938年、1938年及び1944年の3次にわたり相当大規模な修正が行なわれた。この戦区の分画は主に陸軍の作戦を主とするものであった。
世界大百科事典 第2版の解説
こうにちせんそう【抗日戦争 Kàng rì zhàn zhēng】
1937‐45年の日中戦争を中国ではこう呼ぶ。たんなる2国間の戦争としてではなく,民族革命戦争として中国革命の過程に位置づけられている。 1931年,日本の侵略戦争(満州事変)が開始されると中国共産党は倒蔣抗日の民族革命戦争の遂行を呼号し,東北で抗日の遊撃戦を組織したのをはじめ,33年にはチャハルの抗日同盟軍に参画するなど具体的行動をとった。江西根拠地の放棄と長征も北上抗日を名分としておこなわれ,陝西北部根拠地到着後はさらに河北,チャハルへの進出をめざした。
安倍首相、9月訪中を検討 抗日記念行事外す方向で調整
2015年7月11日08時07分
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中国は9月3日を「抗日戦争勝利記念日」と定め、軍事パレードなど記念行事を予定。中国政府高官は今月10日、安倍首相を正式に招待したことを明らかにした。首相は周囲に「(中国から)招きがあるのに逃げたくない」との趣旨の発言をして訪中に意欲をみせているという。しかし、9月3日の記念行事への出席は日本国内で反発を招きかねないとみて、この日は避け、その前後に訪中する方向で調整している。
首相周辺によると、今回の訪中検討は、今年5月にドイツのメルケル首相がロシア主催の対独戦勝70周年記念式典は欠席し、翌日に訪ロして首脳会談を行った例が念頭にあるという。
安保関連法案の国会審議などの影響で、安倍内閣の支持率は低下傾向にある。今後も、九州電力川内原発1号機の再稼働など世論の批判が強い政策課題が待ち受けており、政権としては日中関係改善を訴え、支持率回復につなげたいとの思惑もある。
一方の中国も、9月下旬に予定される習国家主席の訪米前に、米国を含む国際社会に対し「日中和解」を演出することができる。
中国:安倍首相を正式招待 9月の抗日勝利記念行事に
毎日新聞 2015年07月11日 01時02分
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中国の程国平外務次官は10日、北京で9月3日に開く抗日戦争勝利記念行事に、安倍晋三首相を正式に招待したと明らかにした。首相からの返事はまだないという。
程次官は「6月上旬ごろに正式に招待した。返事を待っているところだ」と述べた。
中国の習近平指導部はことしを「抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年」と位置付け、記念大会と軍事パレードを9月3日に北京市中心部の天安門広場で開催する。(共同)
「抗日」強調、平和と安定に役立たない…菅長官
2015年07月08日 06時43分
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150708-OYT1T50028.html?from=yartcl_popin
菅官房長官は7日の記者会見で、中国が「抗日戦争勝利70年」の宣伝活動を強化していることについて、「『抗日』を強調し、歴史問題を国際問題化することは、この地域の平和と安定に役に立つものではない」と述べ、不快感を示した。
安倍首相は、9月3日の「抗日戦争勝利記念日」に北京で開かれる式典の前後に訪中し、3回目となる習氏との首脳会談に臨むことを検討しているが、中国政府が「反日」ムードを強めた場合などは、訪中を見送る考えだ。谷内正太郎国家安全保障局長を近く北京に派遣し、中国側の真意を探ろうとしている。
抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年と銘打つ語句にも表れる。
中国人民抗日戦争記念館に、日本軍暴行ホールなるものがあって、短絡すれば抗日は日本軍に対する抵抗であるという印象を持つ。
抗日戦争勝利の日を1945年9月3日とする。
これは対日戦勝記念日で見れば、ウイキペディアによると、連合国の第二次世界大戦における日本に対する戦勝記念日である、9月2日であるが、
Victory over Japan Day, VJ Day, Victory in the Pacific Day, VP Dayとも言う、略称としてはVJ Dayが一般的、通常は、大日本帝国政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した1945年9月2日を指す、と説明がある。
それに続けて、記念日にVEデー、Victory in Europe Day、ヨーロッパ戦勝記念日の1945年5月8日があり、枢軸国のうち最後に降伏したのが日本だったため、VJデーはすなわち第二次世界大戦の終結の日となっている、という。
>連合国の中華民国やソビエト連邦、連合国ではない中華人民共和国の対日戦勝記念日は、その翌日9月3日
抗日戦争戦区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/03/18 06:28 UTC 版)
抗日戦争戦区は1937年盧溝橋事件の勃発後の戦争情勢に対応するため、中華民国国民政府が中国国内を計画的に戦区に分画したものである。国民革命軍を主体として担当させたこの戦区の最初の所轄範囲は、長城以南とし、山西省、河北省、山東省、江蘇省を主とし、以後戦争の実際の状況と日本軍の占領区域を考慮して、1938年、1938年及び1944年の3次にわたり相当大規模な修正が行なわれた。この戦区の分画は主に陸軍の作戦を主とするものであった。
日中戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/07/04 14:38 UTC 版)
(抗日戦争 から転送)
日中戦争(にっちゅうせんそう)は、1937年(昭和12年、民国紀元26年)から1945年まで、大日本帝国と中華民国の間で行われた戦争である。大日本帝国政府は、勃発当時は支那事変としたが、1941年12月の対米英蘭の太平洋戦争開戦に伴い支那事変から対英米戦までを大東亜戦争とした。 中国側は、抗日戦争と呼称している。
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中国において、日中戦争における日本軍の非道さを世に伝えることを目的として設置された施設の総称。筆頭には北京市豊台区の「中国人民抗日戦争記念館」を挙げることができる。この他、中国全土に100を超える同種の施設がある。
北京市にある中国人民抗日戦争記念館は1987年に公開された。1931年(満州事変)から1945年(終戦)までの14年間に関する資料が収蔵・展示されている。記念館は「総合ホール」、「日本軍暴行ホール」、「人民戦争ホール」、「抗日烈士ホール」の4部分で構成されている。
经过五个多月的展览改造,中国人民抗日战争纪念馆定于2015年7月8日正式开馆,向公众推出“伟大胜利 历史贡献—
http://www.1937china.com/jp_web/
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館長のごあいさつ 日本語文
中国人民の抗日戦争は世界反ファシズム戦争の重要な構成部分であり、それは最も先に始まり、続いた時間も最も長く、世界反ファシズム戦争の東方戦場における主戦場でした。中国人民は世界反ファシズム戦争のためにきわめて大きな民族犠牲を払い、きわめて大きな貢献をしました。中国人民の抗日戦争の勝利は中国人民の日本軍国主義の侵略に抵抗する勝利ばかりでなく、同時に世界の正義と平和勢力の勝利でもありました。それは中国の民族独立に対し偉大な歴史転換の意義をもつのみならず、古い植民地的侵略と支配を変え、平和共存、公正で合理的な国際関係の新しい構造を確立することに対しても、同様に重要な影響を及ぼしました。
中国人民の抗日戦争は外部の敵の侵入に抵抗した、正義が邪悪に対抗した戦争であったことは疑いありません。それだからこそ、中国人民の抗日闘争は世界各国の平和と正義を愛する人々の大きな支援を得たのです。そして世界の侵略と反侵略という二大陣営の分化につれて、その対立は日ましに深刻なものとなり、中国と連合国は最終的に世界反ファシズム統一戦線を結成するとともに、最後の勝利を勝ち取りました。周知のように、この過程において、日本軍国主義は野心満々で、中国を征服することを通じて、さらに1歩進んで独伊ファシズムとともに、共同で世界を分割しようと企みました。中国人民が勇敢に抵抗し、中国戦場がずっと存在し、大量の日本軍に打撃を与え、それを牽制し、日本の侵略勢力を極めて大きく消耗し、日本軍国主義を中国戦場に陥らせて抜け出すことができず、根本から日本の戦略的企みを破壊し、反ファシズムの連合国に強力な支援を提供したからこそ、はじめて世界反ファシズム戦争の基本的な戦局を安定させ、連合国の勝利の重要な基礎を打ち固めました。この基本的な歴史事実は、いかなる歴史を尊重する人も認めるべきものです。これも中国が国連発起国また五大常任理事国となった基本的な理由です。
中華民族は歴史を重んじる民族です。歴史を尊重し、歴史の中から経験と教訓を総括することに長じることは、中華民族が苦難を嘗め尽くしたにもかかわらず、保ち続けている貴重な品格です。中国人民抗日戦争記念館はほかでもなく、中国人民の抗日戦争を記念するために建てられたものです。1987年の落成いらい、中国人民抗日戦争記念館は歴史を戒めの鑑とし、未来を切り開く主旨にのっとって、抗日戦争史の研究、展示、交流の活動を深く突っ込んでくり広げてきました。私たちは、侵略者に押し付けられた悲惨きわまる苦難を忘れるべきでなく、中国人民が国家の独立と人民の幸福を守るために流した鮮血、そのために払った犠牲と精神的意志を忘れるべきでなく、中国人民の侵略への抵抗に支持、援助を与えてくれた国や人々を忘れるべきではないと断固として思っています。私たちはいやがうえにも、歴史的悲劇をもたらした根源を深く提示し、人々に永遠にふたたび歴史の轍を踏ませず、平和・友好、調和のとれた発展を人々の共通の目標と祈願にしなければならない、と思っています。
私たちは、担っている使命と比べて、しなければならない仕事がまた多くあるということを十分に知っています。私たちは世界の平和と発展に関心を寄せている国内外の人々が、本館の仕事に関心を寄せ、ご支持して下さることを心から望んでおり、私たちがともに歴史の真相を広く伝え、歴史から受ける啓示を明示し、世界の平和を促すために自分なりの努力を傾けようではありませんか。
ウィキペディアより
抗日戦争戦区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/03/18 06:28 UTC 版)
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抗日戦争戦区は1937年盧溝橋事件の勃発後の戦争情勢に対応するため、中華民国国民政府が中国国内を計画的に戦区に分画したものである。国民革命軍を主体として担当させたこの戦区の最初の所轄範囲は、長城以南とし、山西省、河北省、山東省、江蘇省を主とし、以後戦争の実際の状況と日本軍の占領区域を考慮して、1938年、1938年及び1944年の3次にわたり相当大規模な修正が行なわれた。この戦区の分画は主に陸軍の作戦を主とするものであった。
世界大百科事典 第2版の解説
こうにちせんそう【抗日戦争 Kàng rì zhàn zhēng】
1937‐45年の日中戦争を中国ではこう呼ぶ。たんなる2国間の戦争としてではなく,民族革命戦争として中国革命の過程に位置づけられている。 1931年,日本の侵略戦争(満州事変)が開始されると中国共産党は倒蔣抗日の民族革命戦争の遂行を呼号し,東北で抗日の遊撃戦を組織したのをはじめ,33年にはチャハルの抗日同盟軍に参画するなど具体的行動をとった。江西根拠地の放棄と長征も北上抗日を名分としておこなわれ,陝西北部根拠地到着後はさらに河北,チャハルへの進出をめざした。
安倍首相、9月訪中を検討 抗日記念行事外す方向で調整
2015年7月11日08時07分
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中国は9月3日を「抗日戦争勝利記念日」と定め、軍事パレードなど記念行事を予定。中国政府高官は今月10日、安倍首相を正式に招待したことを明らかにした。首相は周囲に「(中国から)招きがあるのに逃げたくない」との趣旨の発言をして訪中に意欲をみせているという。しかし、9月3日の記念行事への出席は日本国内で反発を招きかねないとみて、この日は避け、その前後に訪中する方向で調整している。
首相周辺によると、今回の訪中検討は、今年5月にドイツのメルケル首相がロシア主催の対独戦勝70周年記念式典は欠席し、翌日に訪ロして首脳会談を行った例が念頭にあるという。
安保関連法案の国会審議などの影響で、安倍内閣の支持率は低下傾向にある。今後も、九州電力川内原発1号機の再稼働など世論の批判が強い政策課題が待ち受けており、政権としては日中関係改善を訴え、支持率回復につなげたいとの思惑もある。
一方の中国も、9月下旬に予定される習国家主席の訪米前に、米国を含む国際社会に対し「日中和解」を演出することができる。
中国:安倍首相を正式招待 9月の抗日勝利記念行事に
毎日新聞 2015年07月11日 01時02分
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中国の程国平外務次官は10日、北京で9月3日に開く抗日戦争勝利記念行事に、安倍晋三首相を正式に招待したと明らかにした。首相からの返事はまだないという。
程次官は「6月上旬ごろに正式に招待した。返事を待っているところだ」と述べた。
中国の習近平指導部はことしを「抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年」と位置付け、記念大会と軍事パレードを9月3日に北京市中心部の天安門広場で開催する。(共同)
「抗日」強調、平和と安定に役立たない…菅長官
2015年07月08日 06時43分
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150708-OYT1T50028.html?from=yartcl_popin
菅官房長官は7日の記者会見で、中国が「抗日戦争勝利70年」の宣伝活動を強化していることについて、「『抗日』を強調し、歴史問題を国際問題化することは、この地域の平和と安定に役に立つものではない」と述べ、不快感を示した。
安倍首相は、9月3日の「抗日戦争勝利記念日」に北京で開かれる式典の前後に訪中し、3回目となる習氏との首脳会談に臨むことを検討しているが、中国政府が「反日」ムードを強めた場合などは、訪中を見送る考えだ。谷内正太郎国家安全保障局長を近く北京に派遣し、中国側の真意を探ろうとしている。
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