敬語は
敬語を尊敬と謙譲に分けるのは古典文学の解釈から起こったと考えてよい。学生時代に文学を源氏物語に学びそこで恩師となる教授から聞いた話しが謙譲用法による尊敬という解釈であった。そのころに教育の現場でもその考え方が導入されたようにも思う。演劇の役割を振る、仕手と脇の配置で敬語を解説する方法も行われた。敬語の表現をすべて尊敬と謙譲による敬意表現と解釈しようとしたもので語法に謙譲の名がそのまま残されたことになる。謙譲の用法は何に対してのものかと言えばそれは尊敬の対象となるものと言えるので文学上の記述解釈には適していた。そこで謙譲をそのままに時代様相にすれば言語表現の実態にそれは身分、地位の上下に成立する。その謙譲の考えをそのように解釈したのは一方で教育における謙譲を説明することのむずかしさであったのだろう。これは推測にすぎないが日本歴史における身分制社会を説明する困難さがあったと思われる。謙譲をそのままに敬語用法の解釈を立てたのは便宜であったがそれを現代語の用法に持ち込んでいるのは日本語の表現をわかりにくくしてしまっている。
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