日常語となった禅語
講談社学術文庫の1冊、禅語散策、田上太秀さんの本による。日常語となった禅語に、茶話とある。茶話会などと使う。ちゃわ ということもあるらしい。茶の意味は、苦い茶もあれば、おいしくない茶もあるから、ありふれたほどの茶ということだと、田上さんは説明する。この禅語が、禅宗の寺院では、説法のことを指す。茶を飲みながらの話になる。夜間の茶話を夜話という。さわ、やわ、文壇夜話となった言葉の用い方に、飲むものまで変わってしまう、禅の用語である。
その茶話に続いて、みつご、密語をあげて、綿密、親密と、とらえている。それは秘密にはならない、密である。密蔵という語もあるが、それは秘密になる。みつごはまた、みっちを開示する語である。ぶっち、仏意、みっち、密意ようになると、いかにも禅であるが、それを密語ごとして、内証を明かすことになる。しかし、密語を師資相承としたものであるから、難しくもなる悟りの境地である。親密の道理を密ととらえたのは、道元である。
その茶話に続いて、みつご、密語をあげて、綿密、親密と、とらえている。それは秘密にはならない、密である。密蔵という語もあるが、それは秘密になる。みつごはまた、みっちを開示する語である。ぶっち、仏意、みっち、密意ようになると、いかにも禅であるが、それを密語ごとして、内証を明かすことになる。しかし、密語を師資相承としたものであるから、難しくもなる悟りの境地である。親密の道理を密ととらえたのは、道元である。
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