盆に、藪入り
盆に、藪入り
お盆と盆休みと盂蘭盆と、
お盆は中元にある、上元1月15日中元7月15日下元と
道教の由来に、下元10月15日だけは、日本にない、
祖霊を供養する盂蘭盆会を催すようになった
このもとのは中国でのことで
中元とともに日本に影響した
盆休みを藪入りとかさねて
古来の風習といいたいところ
奉公の子など、また嫁いだ女と子とが年に2回だけ帰省する
休みがあり、それはまた旧暦の7月16日であった
盆と暮れである
いまや家族での盆休みの旅行、かたや8月の年中行事である
盆の由来をたずねて
盂蘭盆会は道教を通じて習合し
中国説話である、仏弟子の目連が毎年、亡母を供養した日
というのは祖先供養に牽強付会となる
その墓詣りに、新盆の提灯、迎え、送りの火となる風物詩
ここに風習として伝わる精霊棚、精霊馬そして精霊流し とも
広くアジアの地域での風趣が垣間見えるようになる
1年前には
戦後70年談話
2015-08-14 23:15:55 | 斯く書く
日本政府の公式声明として敗戦記念日を迎えて阿部首相が談話を発表した。
Statement by Prime Minister Shinzo Abe Cabinet Decision
午後6時からの会見でテレビ中継を見た。
すでに有識者による懇話会が答申をした内容を踏まえてのこととしているので、その内容に沿うものであった。
メディアが繰り返すキーワードはその伝えようによって声明に入れるかどうかの首相判断であった。
侵略、お詫び、反省と、それだけの捉えようしかないメディア論調であったから、それを言い立てる世論の、いかにも前向きでない、というのは、戦後賠償は交渉に進められ、お詫びは数度にわたって表明してきているものだから、その未来を見据えた発言をのぞむところであった。
謝罪は聞いたが、賠償請求を続ける、ということでもないらしいので、謝罪は繰り返し、赦すとなるまで続けろというようなことだと、メディアが言い立てている。
外交のカードに謝罪問題となって、日本国民が自らの立場を知るまで、メディアは世論を形成する。
マスコミはまた首相自身の発言、その声が聞こえないなどと書き立てるのだろうか。
毎日新聞と産経新聞が全文を掲載している。
かねてより官邸の英文翻訳もあるというので、その記事に紹介している。
Yamauchi Keisuke
2014年8月14日 10:23
2年前の日記をリマインダーで見る
ほとんどなにも変わっていないことにおどろく
いつもそう思って過ごしてきた
3年前はどうなのだろう
3年前には
改憲 日記20130813
2013-08-13 07:28:32 | 日記
平和憲法は、非戦にある、不戦ではない、反戦運動は停戦にある、戦争はなくならない。非戦を唱えなくなることは好戦になる可能性をのこす。好戦はあり得ないとしても厭戦ではなくなる。不戦はすでに交戦しないと言って参戦はしていることになる。日本民族は好戦的だとみられた。少なからず嫌戦であるとは言い切れないから民族を刺激することは避けて非戦のままにあるのが何よりである。
地元に入り墓参りをした安倍首相は、将来に向かって憲法改正に向けて頑張っていく、これが私の歴史的な使命だ、と、述べたと報じる。12日に。毎日JPより。こうして改憲の状況は内外の圧力のもと、作られていくようだ。賠償問題をなお主張する韓国政府、ミサイルに核弾頭をすえる北朝鮮、愛国無罪とばかりに挑発を続ける中国、この周囲の状況に専守防衛の米国との同盟が変わろうとしている。
改憲を帝国憲法がえりとみる論調があった。日本を取り戻そうとキャッチコピーで政治を進めようとする現政権に、どんな日本を取り戻そうとするかを、改憲に絡めた議論である。現憲法の堅持を図れと言うのか、それとも新たな方向性を見出したいのか、よくわからないが、その視点には具体性がある。憲字について、知ることがあろうかと、問いかけていたので、次に引用する。
>意味 法令、基本となる決まり、手本、法に則って示す、憲法、公布する、役人、取り締まる、敏捷、あらわす、という意味がある。〔説文解字・巻十〕に「敏きなり」とある。〔玉篇〕に「誠なり」とある。
字形 諸説ある。金文での字形は𡩜。𡩜は憲の初文。𡩜は目に入れ墨を入れる刑を表すとする説がある。〔説文〕には「心に從ひ目に從ふ。害の省聲」とあるが、害と憲の音は異なる。ほかに宀+丯+目+心の会意説(〔通訓定声〕)、心+目+契の省略形で、宀声の形声説(〔声訂〕)などがある。
4年前には 2012年8月14日
黒雲が空を覆い,、冷たい雨の、窓にたたきつけるなか、遠く雷鳴がしていたのが、近づく
この3日間の不安定な天候が東海には今日襲ったようだ
ニュース映像はまた豪雨による水害を映し出す宇治市とか
こちらは昼前に小止みとなって、ちょいと出勤とするか
街中には人の出がある、親子連れが目立つ
銀行に行ったら入り口で会釈をする親子連れに
はたして眼鏡をかけたわたしがわかるっていうと
くらさんかな・・・
5年前には 2011年8月13日
アブラゼミが鳴く、前線の影響がまだある、明日にかけての不安定な大気の状態だ
墓参りを昨日、済ませた
道路の渋滞と空模様と暑さをはかって
60キロ離れたところを往復した
2011年8月14日
日本民族という学術名称は成立しないようだが果たして大和民族か
日本も大和も、やまと、であるならこの民族名称は同じものを指す
大和族とでもつけるとわかりようがある、やまと、はキーワードだ
大和撫子が、なでしこジャパンに、大和が日の本でJapanとはなに
和族とも言わない、倭国だから、倭族となり、みずから名乗るには
大和としたというわけだが、それもなぜか、やまと、の名のまま
どれくらいの豪族または民族がいたか、どこからともなく
古代日本民族 といってみてもその後に移動があったということはない
騎馬民族説はそもそもどんな馬にどうして乗ってきて、そこで何をしたのか、アルタイ語族ともいわれる、そのルートには説としてのロマンだけがある
たしかなのはこの地には広く縄文民族と呼ぶ人たちが住んでいたことで土器を作るなど技術の証だけを残す
そこへ南島語族系ともいうべき南洋上からの渡来者があったか、その一方で、アイヌ民族として北海に生息する人達がいた
ほかに民族名を冠したのは、琉球民族だが、そうすると、弥生民族はいつごろ、どこからあらわれたのか
大和民族と自称する一族がいつごろどこで現れたか、その登場までに複雑に民族がまじりあって形成されてくると考えるか
倭族のあとにやってきて各地に住み着いたか、DNA鑑定が物語るのは
ごく少数の先住族の存在ということになる
ある日、倭族は目覚めたかのように集権国家を目指して周辺の民族を従えようとする
それからどれほどの時を要することになるか、京都に中央を置いてはいたものの
その領土内の争いが果てしなく続くのは民族の形成のための動乱であった
そこに見え隠れするのはあの外戚政策とも言うべき手法で巧みに英雄を絡めて行く
つまり7世紀後半に「日本国」を作った勢力が、日本列島を北へ、東へ、西へ、南へと征服地域を広げていって、とうとう今から150年前にやっと日本列島全体を支配することとなったわけだ。
蝦夷 日本が最初に統一されたころ、東北地方にいた民族
隼人 九州南部にいた民族
熊襲 九州中南部にいた民族
国巣、国栖、国樔 奈良吉野地方にいた民族
佐伯 大和朝廷の命を受け
皇室
日本民族は1000年にわたって形成されていた
そのルーツには倭族と呼ばれた一族がいたか
それを大和としたときに、倭族が大和族となった
その大和をまた日本と表記したときに帝政が成立して日本民族は内なる統一を果たしたことになる
お盆と盆休みと盂蘭盆と、
お盆は中元にある、上元1月15日中元7月15日下元と
道教の由来に、下元10月15日だけは、日本にない、
祖霊を供養する盂蘭盆会を催すようになった
このもとのは中国でのことで
中元とともに日本に影響した
盆休みを藪入りとかさねて
古来の風習といいたいところ
奉公の子など、また嫁いだ女と子とが年に2回だけ帰省する
休みがあり、それはまた旧暦の7月16日であった
盆と暮れである
いまや家族での盆休みの旅行、かたや8月の年中行事である
盆の由来をたずねて
盂蘭盆会は道教を通じて習合し
中国説話である、仏弟子の目連が毎年、亡母を供養した日
というのは祖先供養に牽強付会となる
その墓詣りに、新盆の提灯、迎え、送りの火となる風物詩
ここに風習として伝わる精霊棚、精霊馬そして精霊流し とも
広くアジアの地域での風趣が垣間見えるようになる
1年前には
戦後70年談話
2015-08-14 23:15:55 | 斯く書く
日本政府の公式声明として敗戦記念日を迎えて阿部首相が談話を発表した。
Statement by Prime Minister Shinzo Abe Cabinet Decision
午後6時からの会見でテレビ中継を見た。
すでに有識者による懇話会が答申をした内容を踏まえてのこととしているので、その内容に沿うものであった。
メディアが繰り返すキーワードはその伝えようによって声明に入れるかどうかの首相判断であった。
侵略、お詫び、反省と、それだけの捉えようしかないメディア論調であったから、それを言い立てる世論の、いかにも前向きでない、というのは、戦後賠償は交渉に進められ、お詫びは数度にわたって表明してきているものだから、その未来を見据えた発言をのぞむところであった。
謝罪は聞いたが、賠償請求を続ける、ということでもないらしいので、謝罪は繰り返し、赦すとなるまで続けろというようなことだと、メディアが言い立てている。
外交のカードに謝罪問題となって、日本国民が自らの立場を知るまで、メディアは世論を形成する。
マスコミはまた首相自身の発言、その声が聞こえないなどと書き立てるのだろうか。
毎日新聞と産経新聞が全文を掲載している。
かねてより官邸の英文翻訳もあるというので、その記事に紹介している。
Yamauchi Keisuke
2014年8月14日 10:23
2年前の日記をリマインダーで見る
ほとんどなにも変わっていないことにおどろく
いつもそう思って過ごしてきた
3年前はどうなのだろう
3年前には
改憲 日記20130813
2013-08-13 07:28:32 | 日記
平和憲法は、非戦にある、不戦ではない、反戦運動は停戦にある、戦争はなくならない。非戦を唱えなくなることは好戦になる可能性をのこす。好戦はあり得ないとしても厭戦ではなくなる。不戦はすでに交戦しないと言って参戦はしていることになる。日本民族は好戦的だとみられた。少なからず嫌戦であるとは言い切れないから民族を刺激することは避けて非戦のままにあるのが何よりである。
地元に入り墓参りをした安倍首相は、将来に向かって憲法改正に向けて頑張っていく、これが私の歴史的な使命だ、と、述べたと報じる。12日に。毎日JPより。こうして改憲の状況は内外の圧力のもと、作られていくようだ。賠償問題をなお主張する韓国政府、ミサイルに核弾頭をすえる北朝鮮、愛国無罪とばかりに挑発を続ける中国、この周囲の状況に専守防衛の米国との同盟が変わろうとしている。
改憲を帝国憲法がえりとみる論調があった。日本を取り戻そうとキャッチコピーで政治を進めようとする現政権に、どんな日本を取り戻そうとするかを、改憲に絡めた議論である。現憲法の堅持を図れと言うのか、それとも新たな方向性を見出したいのか、よくわからないが、その視点には具体性がある。憲字について、知ることがあろうかと、問いかけていたので、次に引用する。
>意味 法令、基本となる決まり、手本、法に則って示す、憲法、公布する、役人、取り締まる、敏捷、あらわす、という意味がある。〔説文解字・巻十〕に「敏きなり」とある。〔玉篇〕に「誠なり」とある。
字形 諸説ある。金文での字形は𡩜。𡩜は憲の初文。𡩜は目に入れ墨を入れる刑を表すとする説がある。〔説文〕には「心に從ひ目に從ふ。害の省聲」とあるが、害と憲の音は異なる。ほかに宀+丯+目+心の会意説(〔通訓定声〕)、心+目+契の省略形で、宀声の形声説(〔声訂〕)などがある。
4年前には 2012年8月14日
黒雲が空を覆い,、冷たい雨の、窓にたたきつけるなか、遠く雷鳴がしていたのが、近づく
この3日間の不安定な天候が東海には今日襲ったようだ
ニュース映像はまた豪雨による水害を映し出す宇治市とか
こちらは昼前に小止みとなって、ちょいと出勤とするか
街中には人の出がある、親子連れが目立つ
銀行に行ったら入り口で会釈をする親子連れに
はたして眼鏡をかけたわたしがわかるっていうと
くらさんかな・・・
5年前には 2011年8月13日
アブラゼミが鳴く、前線の影響がまだある、明日にかけての不安定な大気の状態だ
墓参りを昨日、済ませた
道路の渋滞と空模様と暑さをはかって
60キロ離れたところを往復した
2011年8月14日
日本民族という学術名称は成立しないようだが果たして大和民族か
日本も大和も、やまと、であるならこの民族名称は同じものを指す
大和族とでもつけるとわかりようがある、やまと、はキーワードだ
大和撫子が、なでしこジャパンに、大和が日の本でJapanとはなに
和族とも言わない、倭国だから、倭族となり、みずから名乗るには
大和としたというわけだが、それもなぜか、やまと、の名のまま
どれくらいの豪族または民族がいたか、どこからともなく
古代日本民族 といってみてもその後に移動があったということはない
騎馬民族説はそもそもどんな馬にどうして乗ってきて、そこで何をしたのか、アルタイ語族ともいわれる、そのルートには説としてのロマンだけがある
たしかなのはこの地には広く縄文民族と呼ぶ人たちが住んでいたことで土器を作るなど技術の証だけを残す
そこへ南島語族系ともいうべき南洋上からの渡来者があったか、その一方で、アイヌ民族として北海に生息する人達がいた
ほかに民族名を冠したのは、琉球民族だが、そうすると、弥生民族はいつごろ、どこからあらわれたのか
大和民族と自称する一族がいつごろどこで現れたか、その登場までに複雑に民族がまじりあって形成されてくると考えるか
倭族のあとにやってきて各地に住み着いたか、DNA鑑定が物語るのは
ごく少数の先住族の存在ということになる
ある日、倭族は目覚めたかのように集権国家を目指して周辺の民族を従えようとする
それからどれほどの時を要することになるか、京都に中央を置いてはいたものの
その領土内の争いが果てしなく続くのは民族の形成のための動乱であった
そこに見え隠れするのはあの外戚政策とも言うべき手法で巧みに英雄を絡めて行く
つまり7世紀後半に「日本国」を作った勢力が、日本列島を北へ、東へ、西へ、南へと征服地域を広げていって、とうとう今から150年前にやっと日本列島全体を支配することとなったわけだ。
蝦夷 日本が最初に統一されたころ、東北地方にいた民族
隼人 九州南部にいた民族
熊襲 九州中南部にいた民族
国巣、国栖、国樔 奈良吉野地方にいた民族
佐伯 大和朝廷の命を受け
皇室
日本民族は1000年にわたって形成されていた
そのルーツには倭族と呼ばれた一族がいたか
それを大和としたときに、倭族が大和族となった
その大和をまた日本と表記したときに帝政が成立して日本民族は内なる統一を果たしたことになる
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