考える
考える行為をどうとらえるか。日本語の考えるという語には、かんがえる かむかふ と説明する語源もあり、これでは対比するものの具体性をとらえないから、語源説のことばだけである。かむかふ は、また、校勘という作業にかかわる。だから、考えることは、そのもの、そのことについてのとらえ方がある。すると深く考えるとはどうすることか。これは、思うという語と考え合わせることになる。それが熟語となれば、思考となって、思慮、思量、思考、潜思、思惟、思案となる類語がある。おもんばかる、おもいはかる、おもいかんがえる、ふかくおもう、おもうおもい、おもいあんずる、など、日本語にはその思うことを、さらに広げ、深くしてわたしたちの日常語にある。
考える(かんがえる) - 語源由来辞典
gogen-allguide.com › 「か」から始まる言葉
考えるの文語は「かんがふ」で、古くは「かむがふ」であった。 「かむがふ」の「むかふ(むがふ)」は、「むかう(向かう・対)」の意味。 最初の「か」は、「すみか(住み処)」「ありか(在り処)」などの「か(処)」と同じく場所を表す「か(処)」、もしくは、「かなた(彼方)」など指し向うところを表す「か(彼)」で、二つの物事を対比して思いめぐらすことから、「か・むかふ(かむがふ)」になり、「かんがふ」「かんがえる」になったと考えられる。
かむかふ|暮らしの道場 * 古武道アート 結井の徒然帳
https://ameblo.jp/padmehum/entry-11892777881.html
2014/07/12 - 考えるの古い形は「かむかふ」です。 「か」は特別意味のないことばです。「む」は「み」すなわち自分の身です。「かふ」は「交わる」ということです。 だから、考えるということは、自分が身を以て相手と交わるということです。 宣長の言によると、考えるとはつきあうという意味です。ある対象を向こうに離して、こちらで観察するという意味ではありません。考えるということは、対象と私とが、ある親密な関係へ入り込むということなのです。 だから、人間について考えるということは、その人と交わるということなのです。
かむかひてかんがふことかんがみる。|高松英樹 哲学ブログ「絶対精神の ...
https://ameblo.jp/hidekioo79/entry-11732167609.html
2013/12/19 - 存在をかむかひてかんがふ。 かんがふことかんがみるものなり。 思考という事態は、最終的には必ず「思考について思考する」、あるいは「存在について思考する」。そこに辿り着きます。しかし、或ものが在るということと、それが在ると思うということを分けることが不可能である限り、 この二つは同じことであり、したがって「存在=思考」です。 存在とは抽象的な概念です。そういうとおそらく、 「目の前にコップがある。これが存在だ。これのどこが抽象的なんだ」 という反論もあるかと思います。しかし「コップが、 ..
> 名詞およびサ変動詞 > 名詞およびサ変動詞(出版) > 校勘の意味・解説
三省堂
こう かん かう- [0] 【校勘】
( 名 ) スル
古典の刊本や写本の校異を調査して,誤りを正したり,異同を明らかにすること。
日本語WordNet(類語)
>
慎重に見る
思い見る ・ 検分 ・ 惟みる ・ 考え抜く ・ 思索 ・ 思見る ・ 潜考 ・ 考慮 ・ 思議 ・ 省察 ・ 惟る ・ 考えぬく ・ 思慮 ・ 思量 ・ 思いめぐらす ・ 思料 ・ 潜思 ・ 勘考 ・ 思案 ・ 考察
よく考える、慎重審議する
思い見る ・ 惟みる ・ 思索 ・ 検討 ・ 思見る ・ 潜考 ・ 考慮 ・ 思議 ・ 慮る ・ 惟る ・ 思慮 ・ 案ずる ・ 思量 ・ 思考 ・ 潜思 ・ 料簡 ・ 思惟 ・ 思案 ・ 案じる
http://diamond.jp/articles/-/152386?utm_source=weekend&utm_medium=email&utm_campaign=doleditor
HOME 経営・戦略 イノベーション的発想を磨く
2017.12.9
>日本人とフランス人の子ども、どちらが「深く考える」か?
以前、こんな話を聞いたことがある。
今はどうなっているか定かではないが、その話の当時、フランスの鉄道の列車内には、乗客がドアを開閉できるボタンがあった。そのボタンは停車中だけでなく、走行中にも動作した。
ある日本人のフランス駐在員の奥さんがこの事実を知り「これは危険だ」と感じた。そして現地の新聞に「走行中に子どもが勝手にドアを開けて落ちたら大変だ。すぐに改善を求める」という内容の投書をした。
するとそれに対し、新聞の他の読者から意見が寄せられた。「フランスにはそんなバカな子どもはいない」というものだった。
聞いたのはここまでなのだが、とても示唆に富む話だ。
きっとフランス人は自分の子どもに、走行中に扉が開く危険をきちんと考えさせるのだろう。そして、ボタンを押したら危ない目に遭うことを、自分自身で理解させようとするに違いない。
一方、日本人はそもそも安全な仕組みにしておく。そうすれば気をつけなくても事故の危険性は少なくなり、安心だ。だが半面、日本の子どもは走行中の電車の扉が開く危険について「深く考える」機会を失うことになる。
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考えるの文語は「かんがふ」で、古くは「かむがふ」であった。 「かむがふ」の「むかふ(むがふ)」は、「むかう(向かう・対)」の意味。 最初の「か」は、「すみか(住み処)」「ありか(在り処)」などの「か(処)」と同じく場所を表す「か(処)」、もしくは、「かなた(彼方)」など指し向うところを表す「か(彼)」で、二つの物事を対比して思いめぐらすことから、「か・むかふ(かむがふ)」になり、「かんがふ」「かんがえる」になったと考えられる。
かむかふ|暮らしの道場 * 古武道アート 結井の徒然帳
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2014/07/12 - 考えるの古い形は「かむかふ」です。 「か」は特別意味のないことばです。「む」は「み」すなわち自分の身です。「かふ」は「交わる」ということです。 だから、考えるということは、自分が身を以て相手と交わるということです。 宣長の言によると、考えるとはつきあうという意味です。ある対象を向こうに離して、こちらで観察するという意味ではありません。考えるということは、対象と私とが、ある親密な関係へ入り込むということなのです。 だから、人間について考えるということは、その人と交わるということなのです。
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2013/12/19 - 存在をかむかひてかんがふ。 かんがふことかんがみるものなり。 思考という事態は、最終的には必ず「思考について思考する」、あるいは「存在について思考する」。そこに辿り着きます。しかし、或ものが在るということと、それが在ると思うということを分けることが不可能である限り、 この二つは同じことであり、したがって「存在=思考」です。 存在とは抽象的な概念です。そういうとおそらく、 「目の前にコップがある。これが存在だ。これのどこが抽象的なんだ」 という反論もあるかと思います。しかし「コップが、 ..
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こう かん かう- [0] 【校勘】
( 名 ) スル
古典の刊本や写本の校異を調査して,誤りを正したり,異同を明らかにすること。
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思い見る ・ 検分 ・ 惟みる ・ 考え抜く ・ 思索 ・ 思見る ・ 潜考 ・ 考慮 ・ 思議 ・ 省察 ・ 惟る ・ 考えぬく ・ 思慮 ・ 思量 ・ 思いめぐらす ・ 思料 ・ 潜思 ・ 勘考 ・ 思案 ・ 考察
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思い見る ・ 惟みる ・ 思索 ・ 検討 ・ 思見る ・ 潜考 ・ 考慮 ・ 思議 ・ 慮る ・ 惟る ・ 思慮 ・ 案ずる ・ 思量 ・ 思考 ・ 潜思 ・ 料簡 ・ 思惟 ・ 思案 ・ 案じる
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2017.12.9
>日本人とフランス人の子ども、どちらが「深く考える」か?
以前、こんな話を聞いたことがある。
今はどうなっているか定かではないが、その話の当時、フランスの鉄道の列車内には、乗客がドアを開閉できるボタンがあった。そのボタンは停車中だけでなく、走行中にも動作した。
ある日本人のフランス駐在員の奥さんがこの事実を知り「これは危険だ」と感じた。そして現地の新聞に「走行中に子どもが勝手にドアを開けて落ちたら大変だ。すぐに改善を求める」という内容の投書をした。
するとそれに対し、新聞の他の読者から意見が寄せられた。「フランスにはそんなバカな子どもはいない」というものだった。
聞いたのはここまでなのだが、とても示唆に富む話だ。
きっとフランス人は自分の子どもに、走行中に扉が開く危険をきちんと考えさせるのだろう。そして、ボタンを押したら危ない目に遭うことを、自分自身で理解させようとするに違いない。
一方、日本人はそもそも安全な仕組みにしておく。そうすれば気をつけなくても事故の危険性は少なくなり、安心だ。だが半面、日本の子どもは走行中の電車の扉が開く危険について「深く考える」機会を失うことになる。
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