思い出せば15年前 南京滞在
ブログをひらいて、振り返ってみて、南京は2004年には、春と秋に出かけている。その春の記事を、滞在について書いている。インターネットの遠隔講義を実験するためのものだった。いまから考えると、その実験はウエブカメラのチャットとなって、いわゆるテレビ電話として可能なことである。いち早く大学間の交流協定を使っての実践を考えたのが、授業交流であった。衛星通信と大げさなことをしなくとも個人研究でできることはあると、研究室と機関を結ぶという、コミュニケーションの大それたことをいとこともなげにすることであった。それは、その可能性を証明した。その当時のブロードバンドで問題点を音声通信にあることを見出した。高速大容量は映像のこととだけ思われて、それをパケットにすることで実現できたころである。それでは音声は何が難しかったか。音声回線のために通信をつなぐ、その時間であった。長さもそうであるが、回線が込み合う時間帯にはつなぎっぱなしはできなかったのである。その障壁は高くも固くもなんともないのだが、回線利用の契約条項によることであった。面白いことがわかったのであった。
次は、2004年9月。
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20040903 行ってきます。
秋の気配が漂う。
今朝の気温が20℃を下回ったと伝える。
ひんやりというところ、一気に変わるとバイオリズムがあわない。
2日前にホームページのリンク切れを修正して夜中、起きていて、調子を崩してしまった。
オリンピックをまったく見なかったと、タモリが言っていた。
もちろん深夜から明け方の中継のことだが、聞いていて、そうだなあと思った。
開会式をずっと見て、リズムを崩したことがあったからだ。
寝不足だけではない、体力が気力と、ともなわない、気ばかりあせる結果になる。
業務にて中国南京へ出張します。
ちょっと行ってきます。
20040903 着きました
関西国際空港から総勢6名様の一行は無事に南京入りをした。
13時発、2時間半の中国東方航空の航路は快適に、日本時間15時半こちらの中国時間で14時半についた。
南京上空にやってくると、雲がかかってそれまでの視界のよさが消し飛んだ。
そして着陸すると意外にも涼しく、ぱらぱらと雨だった。
聞くと、今日の午後からこの曇りに雨だそうだ。
連続発生する日本の台風の気候を運んできたかな、と冗談も出たが、恵みの雨だろう。
涼しくなった、秋になったとは言え、暑いことを予想していただけにほっとした。
なにしろ荷物が多い、背中のザックに15キロにもなる書籍を担いで無事に着いた。
パソコンは衝撃を避けて機内持ち込みでいつも通り。
ものものしく検査でバッグから出せと言われて閉口したが仕方ない。
手提げの甲斐あって、こうしてネットがつながった。
何事にも手放せないのは電子が取り巻く地球の狭さだろう。
空港から約1時間の高速道路を通ってホテルへついた。
専家楼で留学生や外籍教師の居室があり、ここはすでに4度目となる。
チェックインをして荷物をといてホーと息をついてすぐに宴があった。
歓迎のことばに、懐かしさが、なぜかこみ上げてきた。
5名の実習生たちも緊張していたろう。
初めてのアジアだというもの、異文化との接触はこれまでにもあったと思うものが、見るものに目を開いて、これから日本語の教育の実地を経験する。
早速に水と健康管理に注意をして生活を始めた。
次は、2004年3月。
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20040316 日本へ帰国
朝6時40分のモーニングコールは鳴らなかった。
1906年創業のホテルから窓の外を見ると太陽がまぶしく川面を照らしていた。
上海空港を今日11時15分に発って帰る。
7時40分にホテルを出発、高速道を通って飛行場へ9時前に着いた。
上海のハイウエーは渋滞に合うと大変なので7時40分に出発して余裕を見たようだ。
昨日同じ道を走り、20年ぶりの上海に感懐も新たに、新天地になってモータリーゼー
ションの成果を見る思いがする。
際立つ色のタクシーにはまだしも、黒塗りの上海サンタナがめっきり影を潜め、ベン
ツ、アウディ、トヨタ、ニッサン、ホンダの丸みを帯びたボディが疾駆するのが目立
つなか、この街の広がりを自動車社会が実現したようで、大都会の面目を保つかのよ
うだ。
新天地の観光スポットはその現われのひとつだろうか、この空間の土地がもったいな
いか、文化の復興が人を呼び込むか、ジャッキーチェンが作った店のテラスに座っ
て、予園と対照的な1930年代町並みはまだわずか1年ばかりらしく賑わいもすくな
かったが、いずれ混み合うだろう。
名古屋へ着いたのは日本時間、2時半、気温が18℃と伝えた。
機内で新聞を見て、オリンピックの代表選手を選んだニュース、スペイン選挙で勝利
した社会労働党のイラク撤兵が活字になっていた。
世界のトップニュースはスペインでのテロ以来、アメリカのイラク戦争が開戦1年で
さまざまに取りざたされているのだと知った。
1週間のうちにも情勢の変化は激しい。
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20040313 ハードな日
少し晴れた、温度も上がった。
木の緑も色づき、花も咲き、鳥の声も聞こえるようだ。
南京でのふたつ目の業務をきょう行って、これでおしまい。
下準備はこちらに来て3日間を費やしてほぼできた。
集まって見えたのは三江大学、私立のベル大学、南京農業大学、南通師範大学など、そしてここ南京師範大学の先生方に大学院生たちが集まって、近辺の方々だと聞いた。
学習者のやる気を起こさせる方法と教え方の効果について1持間余り、はなした。
こじんまりした会議室での30名ほどの内輪の会だったので、やりやすかった。
会が終ったあとに小宴をすると聞いていたので残っていたら、なんと手作りのおにぎりやおでんが出されたのは愉しかった。
次は、2003年9月。
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20030923 南京は晴れだった
南京から上海へ移動した。
直行便が成田と関空にあるが、名古屋便はない。
260Kの道のりを高速バスで行く。
ちょうどよい移動と時間となる。
高速道路は行く先々で道路工事をしていた。
日本でおなじみの大型バスの列に乗用車が込み合う。
片側車線を使って、また相手車線をはしってひしめき合う。
日本の高速道路と同じ情況にも慣れてきた。
5時間のなか、運転手は一度のパーキング駐車で交代する。
20分の休憩を取ったが、これはまえのときは10分だった。
快適に走り続けてあっというまに上海にやってきた。
バスの中でチャップリンのVCDを楽しんでいたのだが。
上海は車社会として変貌していた、と言っても市内についてではない。
高速道路を外環道にして水平的に空間的な広がりは相当のものだろうと予想する。
昨年に上海市内に来たときには高架道の渋滞にひやりとさせられた。
その前10数年になる市内イメージは観光名所を除いてもうのこっていないだろう。
中国の情況は大国としてのありさまが、それは名実ともに経済を動かしてきた上海に
ある。
実はおなかを下して正露丸を飲んでいた。
13日の晩に、直前に水をわかして茶を飲んだ日曜のほっとした時間がいけなかった。
次の日をこらえて、それでも同じ状態だったので飛行機に乗るときを心配していた。
情けない話であるが、高速道を走っているときに直ったと感じ、やっと間にあった。
とてもよい天気のなか、夕日の感激的な光景にJL316便はとんだ。
機内でマジックⅢとかいう座席ごとの液晶テレビにびっくりした。
車載電話にもなるマルチサービスの個人操作用テレビだ。
日とともに変化しているのを知ってているようなつもりでいたが、追いつけなくなっ
てきたのだろうか。
珍道中も、大名旅行も、なんにしても旅は終えた。
見送りに来た知人、インターネット実験をてつだった学生だが、成功でしたね、と
祝ってくれた。
都合5回の講義もふりかえってみれば準備に体調を壊しながらも一生懸命やって・・
・と思う。
パソコンのネット情報にアクセスできたことが唯一の成果だ。
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030922 短いようで長い
10日間が過ぎた。
おかげさまでなんとかここまで来た。
南京の秋空が気持ちよく澄み渡って広がっていた。
この印象を持つことができたのを天に感謝したい。
バスにのってパソコン街を見に行った。
電脳節をにぎやかに開催していた。
お目当てはパンダの会社の機器。
デスクトップのタワーが16キロもあるとちょっと持ち帰れない!
昼から外国語学院の院生に話した。
聞きつけてたくさんの学生が来たので予定が違ってしまった。
青空のような気持ちです、と言ったら、すかさずどんな気持ちですか、と質問があ
る。
青ざめていたのだが。
明日、日本へ向け、帰国する。
126元の高速バスで一路、上海に向けて走る。
成功した、と祝ってくれた。
さあ、着いてからが大変だぞ―
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030921 秋らしく晴れた
こちら南京は、やっと気配が感じられる。
日本地図の上を雨が覆って、東京では激しい雨の予報が出ている。
どの地域がどれくらいかとやはり心配になる。
世界の天気予報で日本を伝える地域は東京だけ。
ストレスのおおきかった体の調子もよくなった。
ハードスケジュールを自覚せずに行ってきた結果だ。
不摂生を体調管理の問題にしてみずからの怠慢を思う。
それにしても先週の土曜日について次の日曜からあっというまに1週間がたった。
ふつうは半日動いて昼寝して午後に少し動いて、というパターンだ。
午睡はその意味では適度に快適な夜の時間を提供してくれる。
しかし休息日の日曜日もこれで最後とばかり、バス旅行に出かけた。
鎮江に高速道を通って約1時間余、市内の工事で渋滞・・・
揚子江を鎮める、抑える、と書いてできた町のようだ。
ここがあの6朝時代の文化の集積地だったか。
呉の時代、日本から呉と言えば揚子江の流域を下って揚州から蘇州にかけての地域を
さす。
三国の時代の呉は229年ニ孫権が建てた国、それをさらにさかのぼって、春秋時代の
呉が紀元前の473年だ。
クレはすると、江南地域の江蘇省の別称で中国南北朝時代。
漢民族が南朝を支配して589年、隋が陳を滅ぼすまでの150年余り。
そして、その六朝が後漢から隋の統一まで南京に、呉、東晋、宋、斉、梁そして陳
と。
ここ南京は古くは、金陵、建業、建康などと称していた。
金山公園を訪ねた。
人々の賑わいは観光に訪れ、ここに仏教を求めてのものだ。
白蛇伝の伝説、東晋にすえた江天禅寺、金山塔と呼ばれる慈寿塔。
入り組んだ川の流れを一望する塔の上は狭くて危険でもあった。
北固山を訪ねた。
道路建設で入り口がふさがれて賑わいもなくひっそりとしていた。
孫権が結婚式をした甘露禅寺があり、劉備招親の故事がある。
川が見えるテラスで茶を飲んで悠久の歴史、1400年に思いを馳せた。
この地で考え合わせることが大きい。
古城を破壊してきた明から清の時代と・・・
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030920 南京の空
高く、秋の青空が出た。
温度が下がってジャケットがいるようになった。
こちらの人が、誰もがこの気象は異常だと言う。
それでも秋の風を感じた。
日本では台風が近づいていると言う。
ちょうど来週の火曜日ころにこちらに向いてくる予想だ。
飛行機で帰国の便が気になる。
首相再選の圧勝のニュースに見え隠れする。
古い町で伝統を大切にしようとしている。
世界遺産の明孝陵をたずねた。
八つの棺を担ぎ出した朱元璋の墓だ。
緑の山に埋もれていた。
総統府、中山陵、そして紫金山。
懐ふかく、いだかれる。
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030919 朝から雨
雨が降っていた。
目が覚めて夕べの雨音がまだ続いた。
傘がいる一日だった。
昼前に少し小止みになり、風が吹いた。
気温が5度から10度近く下がる予想が出ている。
涼しく感じられた昼下がりだった。
日本では台風が近づいているようだ。
南京は雨に洗われた木々の色がしっとりとした。
時間を作って市内観光に出かけた。
元の大統領府である総統府をたずねた。
工事中だと聞いたが修復されてきれいになっていた。
見て回るうちに考えさせられた。
予定した講義は今日、終って、あと。1つとなった
だんだん聞いている人数が減って今日は60名弱。
日本語科在籍の人員の半数だ。
90分もの外国語聞き取りで緊張するのは耐え難いだろう。
夕食を西用料理で、と、町にくりだした。
安くておいしくてたっぷり。
果物をふくめたサラダバーが人気だった。
そのあと湖南路の歩行者天国を歩いた。
VCDを買った。
珍珠港、パールハーバーだ。
1枚1時間の3枚組で15元だ。
夜風が冷たかった。
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030918 日差しが強い日
青空がでて、よく晴れた。
陽が、かっと照りつけた。
気温が上がって、南京市内は暑かった。
そして明け方や夜中に雨が降る。
12時前、いま雨の叩きつける音がする。
もう日本時間は零時を回っている。
10数年前に北京で、この時間にラジオで九州からのニュースを聞いた。
それからいまやニュースはネットで毎日、いつでも読める隔世の思い。
食事はレストランでメニューを見て注文する。
見るだけでどれがよいやら、サバイバル中国語を。
とても贅沢なことだ、今までの訪問になかったことだ!
もはや、こちらの豊かさにあわせたスタイルに決めた。
マックでハンバーガーを30元も出して食べる。
シェークとポテトとフィッシュと、あとひとつ。
日本で食べるのと変わらない、と、気がつくことは。
このファストフードに日本を思うなど、もってのほか。
やっと体の調子がすこし転換した。
おなかがすいて、よくたべて、またすいて。
ひるねをして、ねむりこけて、ねむって・・・
朝の仕事、○の状態を定期にチェックすること。
出張の仕事は山を越えた。
日程の半分は順調だったと思う。
身体的にハードであったが乗り越えた。
あと一仕事に、交渉ごとがある。
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030917 ハードな日々
朝方、雨が降ったようだ。
木々が、路面が水を打ったようにぬれていた。
二日続けてこちらは雨が降った。
長くは降らない。
蒸し暑くてじっとりとする。
この気象は異常だそうだ。
例年は秋の涼しさがあると聞いた。
昨年の滞在を思い出すと今年は異常だ、と感じる。
南京5日目、スケジュールをこなす毎日。
ウエブカメラと音声チャットを実験した。
この間と異なってADSL回線を使ってみた。
2箇所通信して、LANには接続がむずかしい。
それでも、今回の所期の目的ははたした。
成功、大成功と叫びたい気持ち。
ブロードバンドのメリットを少し、実感。
どこも誰も同じことができるというのは大変なことだ。
ちがっているからいい、のは文化だけか。
夕食に日本人が経営する日本料理店にいった。
味噌汁を飲みポテトの野菜サラダを食べた。
ちょっとしたものを味わうといいでしょ、おかみさんがいった。
日本を出発した先週はやはり蒸し暑かった。
涼しさを求めていたのに、そのままこちらで蒸し暑いまま。
わたしの体内温度計はあがりっぱなしだ、蒸し暑くて。
中国へくると体調の変換を感じるのだが、今回はまだない。
いそがしいこともあり、うまくいくかどうか、あれこれと重圧がある。
肩こりと足腰に来ている、ビタミン不足のような脱力感がある。
パソコンのネットッでストレスはだいぶ取れたのは、不思議なことだ。
1分につき1角の料金、日本円では1時間80円すこし、電話回線を使っている。
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20030916 雨が降った
かなり大粒でばらばらと降っていた。
南京の雨は蒸し暑さを増す。
傘を持ってこなかったので眺めていた。
昨日から不安定な雲行き。
見るもの聞くものが経済的潤沢を思わせる。
まだこれからと言われるなかで都会は豊かになった。
そして、この何度目かの滞在はいままでよりも贅沢になった。
あふれるほどのものがあふれるほどの人に応じている。
じっとり汗ばむと肌にしみつくようだ。
疲れる湿気だと、誰かが言った。
雨上がりの昼下がり、新キャンパスに。
2万もの人がひしめく、とはならないけれど、とにかく広い。
日本語の発想は言葉の学習にあった。
文字を学び言葉としてあれこれ、思索してきた。
漢字を文字として、それは言葉である、と。
いまだに言葉の使い方を決めて、決めかねている。
1300年に及ぶ漢字言葉に対し、150年余のカタカナ言葉。
それを言い換えて、また言葉を学ぼうとしている。
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030915 阪神優勝
お祝いを言いたくなった。
熱烈ふぁんではないけれど、おめでとう。
アルプスタンドにはよくいった、ウン十年前に。
泥臭いのにユニフォームがいつも、かっこよかった。
毎日のニュースがリアルタイムであることと、
その日に流されるニュースの洪水が進行中、
連続的であるほど、錯覚してしまっている、
自分が生きている地域社会をどうして捉えるか?
実験は本日の午前10時に予定していた。
南京から名古屋へネットのテストを行った。
ブロードバンドが映像の伝送を可能にするかどうか。
音声映像ともに双方向通信が成功した。
ほっとして疲れがどっと出て旅の先を思う。
簡単な事実を作るための、それだけの緊張だった。
明日の予定実験は1日延期した。
開通事情はどこも同じなので、協議がいる。
この地はさばけていて、それで・・・
あっけらかんと開放的ないい町だ。
伝統を守ろうとするか、発展が緩やかなのか。
いずれ誇り高い。
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030914 南京から(2)
連休の1日目と言いたいところ、うす曇り、晴れ。
蒸し暑いなか、旅の疲れをまだ感じない。
朝方、改めてこまかな打ち合わせをした。
ここは専家楼の308号室、ホテルである。
今回の訪問はプロジェクト研究の実験と講演だ。
それにSARSでこれなくなった連絡だ。
余儀なく打ち切った計画は始末がつかない。
そのような立場を理解する、と言うことの表明。
案内を受け、市内観光に出かけた。
江南貢院、烏衣巷を訪ねた。
賑わいは呼び込みと散策のざわめき。
新街口に寄り、南京書城に。
夜、インターネットを試みる。
上網。これで一安心。
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030913 南京からの便り
上海に10時30分に着いた。
日本を日本時間で9時15分発、快適にJLはとんだ。
虹橋より遠くなった国際空港、浦東はしかし新しくて大きい。
入境の書類にローマ字で書け、と言われてあわてた。
高速道路に乗って南京にきた。
移動にかかった時間は12時40分から6時であった。
5時間のドライブはそれでもすばらしいものだった。
この7月8日に開通したバスは液晶の画面でカラオケを放送していた。
南京について1日目、これからの滞在のスケジュールの相談をした。
インターネットの開通を明日にすることにした。
暑い、湿度が高い、そんな印象のなか、1日は旅行で過ぎた。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。