0306 こころの声

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0306_25 言語に感情がある、これを考えて、論理的思考とどうかかわるか。言語表現で感情があらわされるということを普通に受け止めていれば論理と感情をそれぞれにとらえるだろう。果たして日本語ではどうであろうか。国語の論理ではそこに立ちいることがあったとすれば和歌の伝統としてその解釈に見える。誰しも不思議に思わずに国語の感情を言語としで捉えているので、この議論は少々うざったい。




言は言葉である。語は単位である。言語となればそれは言語学、言語行動、言語の全体に及ぶ。
いささかにも近代言語の視点になるのは、国語の論理に反省を得た言語学の成果を得るからである。
日本語の呼称で国語から衣替えをする1980年代を画期にすると、日本語視点は国語の実証学問をもとに議論されてよい。

表現による感情は様々、手段によって受け手が感得する。言語だけではないから、その表現の手段、あるいは素材に感情がどのように現れるか、それに接する。
言語、そして国語に感情を表すという、あるいは現れるというのは、国語の議論をするものにはよく知るところで、それをまた発展させるのは唯一国語学徒において、仮説を打ち立てた時枝学説、言語過程説がある。理論となって言語の機能にさらに国語そのものに感情を持つ言語としている。門外漢には理解に及ばないところがあるかもしれないが伝統的な国語研究にはその先駆があって時枝は学説対比をして見せて仮説に仕立てた。

その伝統にあったものは心の声というものである。ますますどういうことであろうかと思われる向きには心の声を感情の表現と見ればわかりよいかもしれない、という、例え方は、心そのものに感情があるという前提であるから、それをそうだと、そういうこともあるのかと、これもまた飛躍して、日本語のオノマトペがなぜそれほどに表情が豊かな言語であるのかと思い至ると、ありえないと言えば擬態、擬情、擬音はそのカバーするところとどまるところがない、日本語の特有の現象にも見えるが心に音があるのか、聞こえるのかと、その議論は言語が音である限り、すぐにも破綻するのだが、日本語は言語を文字ととらえているようだから、成り立つようなことである。

心の声を真理的なものとして言語解釈をするのか、それ以上に、形而上より形而下になるのだが、日本語の不思議である。
ぴしゃーん、これは何を表現したものか。






世界大百科事典(旧版)内の言語四種論の言及
【鈴木朖】より
>…《雅語音声(おんじよう)考》は16年(文化13)の刊行で,単語に擬声・擬態起源のものの多いことを4種に分けて説いた。《言語(げんぎよ)四種論》は24年(文政7)の刊行で,品詞分類,ことに〈てにをは〉の働きについての考え方が注目される。【林 大】。…
※「言語四種論」について言及している用語解説の一部を掲載

日本大百科全書(ニッポニカ) 「言語四種論」の意味・わかりやすい解説
言語四種論
げんぎょししゅろん
>品詞分類の書。鈴木朖(あきら)(1764―1837)著。1824年(文政7)刊。雅語の品詞分類を説いたもの。「体ノ詞(「ことば」と読む。名詞)」、「形状(アリカタ)ノ詞(用言のうち終止形がイ段で終わるもの)・作用(シワザ)ノ詞(用言のうち終止形がウ段で終わるもの)」、「テニヲハ(感動詞・副詞・助詞・助動詞・活用語尾)」の3類4種に分ける。
>「三種ノ詞ハサス所アリ、テニヲハゝサス所ナシ、(中略)三種ハ物事ヲサシアラハシテ詞トナリ、テニヲハゝ其詞ニツケル心ノ声也」などと述べている。これらの説は時枝誠記(もとき)(1900―67)の言語過程説にも影響を及ぼす
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