源氏の物語 9 書き写す

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源氏が誰にどのように読まれたか。文学研究のいろはである。作品があり、作者がいて、読者がいる。源氏物語を愛読した人は誰であったか。作者はだれか、作品がいつ書かれたか。出版をすればその出版社による奥付があるし、出版物であるから、それを求める読者ということである。源氏は書き写されて人々に読まれた。それを玉上評釈の、源氏物語の捉え方では、女による女のために女の物語であった。女性のための、ということは知れ渡っていたことであろうが、それを読む人は誰であったかとなると、写本というのは書き写す、作品成立の時期とするか、それを写して読む行為であるから、少しずつ時間差がって、それをおこなうにはそれなりの環境があるということである。そうして写されていくあいだに、作者の原本をとどめるものはどれか、その作品のオリジナルはなにかと、本文を探求することになる。原本は作者のつけた書名があって署名入りというわけではないから、考えてみると、五十余帖にもなる物語がよくまとめて伝えられたということになる。そこに源氏本文の研究がある。源氏の本をそうして求めた、いくつか書き写されている本を集めてひとつのものにする、それが河内本系統の書写本と呼ばれる。源光行とその子源親行が協力して、当時乱れに乱れていた源氏物語の本文を正すために作られた、というふうに言われるのだが、源光行によって1236年、嘉禎2年2月3日に始められ、源光行の没後、源親行によって1255年、建長7年7月7日に完成を見たというものである。古写本を集めた、21本を校合した、そのなかで、7本を挙げて本文校訂を行ったということである。この河内本は、その後、一つの本文となって成立して、それをまた書き写すことが行われていく。それはまた、各帖の取り合わせ本としての形態を作っていく。

1236年、嘉禎2年2月3日 から 1255年、建長7年7月7日 まで

二条帥伊房本
冷泉中納言朝隆本
堀川左大臣俊房本
従一位麗子本
法性寺関白本
五条三位俊成本
京極中納言定家本

主要な写本

尾州家本 1258年(正嘉2年)5月に北条実時が出来上がったばかりの源親行所有の河内本原本を借用して能筆家に書写させた
御物本 『東山御文庫本』や『各筆源氏』とも呼ばれる。青表紙本や別本の本文を持つ巻も含まれている。
七毫源氏 高松宮家本 代表的な耕雲本。旧高松宮家所蔵本。
中山本 「若紫」、「絵合」、「行幸」、「柏木」、「鈴虫」、「総角」(一部)のみ現存
平瀬本 54帖の揃い本。近代に入って行われた源氏物語の写本調査の中で1921年(大正10年)に山脇毅によって良質な河内本の写本として初めて発見された
大島河内本(大島本とも) 青表紙本の大島本とは別の古写本
天理河内本 「校本源氏物語底本 河内本(禁裏御本転写) (室町時代)写 」と説明されている「校本源氏物語」(のちの『校異源氏物語』及び『源氏物語大成』)の底本であったと考えられている本。のちに天理図書館の所蔵となり、「天理河内本」との名称で『源氏物語別本集成 続』で校合対象の一つになっている。
鳳来寺本
吉川本


>どれくらいの数の源氏物語の写本が存在する・したのかは明らかではない。校異源氏物語及び源氏物語大成は約60本の写本を校合の対象にしており、これらと重なるものも多いが源氏物語別本集成は約40本、河内本源氏物語校異集成は約30本の写本を校合の対象にしており、主要な校本で校合の対象として取り上げられている写本はのべ100本程度である。