求同存異、棚上げ論

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求同存異、このことばを、このたびの米中会談で習近平氏はオバマ大統領に言ったと、テレビニュースを見ていてわかった。
求同存異、双方の共通点を追求し、異なる点は棚上げする、これは中国の外交政策の方針、であるようだ。

かつての日中国交交渉の周恩来の言葉であるし、また、周恩来が1995年のバンドン会議で、中共の共産主義革命の拡散を警戒する各国を取り込むために使った言葉であるそうだ。

そして、繰り返し用いるこの語は、棚上げする、後世の判断にゆだねようと、その後の中国の指導者が使ってきた語でもある。
しかし、日本のマスメディアはこの語を報じないだけでなく、かつては意味の取り違いをしていたようでもある。

とらえようによっては、その場しのぎであり、深謀遠慮が企てとしてあるような物言いである。



http://fantaji-hompo.cocolog-nifty.com/fantajihompo/2011/07/post-4376.html
ファンタ爺の日本語ざっくばらん
2011年7月 3日 (日)
> 今年の正月、中国の胡錦涛主席がアメリカを訪問、ホワイトハウスでの歓迎行事でスピーチをした。その詳細は、日本ではあまり詳しく報道されなかったが、幾つかのキーワードが浮かび上がってきた。なかでも私の心を捉えたのは“求同存異”だった。懐かしい“ことば”でもあった。
 “求同存異”
 この“ことば”に、私が初めて出会ったのは1972年の9月。田中角栄首相らが、周恩来首相の招きで中国を訪問し、日中の国交が正常化した、その時だった。
 北京で田中首相ら一行を迎えた周恩来氏は、日本と中国との国交を回復するに当たって、“求同存異”の精神で当たろうと呼びかけた。
 周恩来氏のこの発言を、日本のマスコミは、いささか乱れ気味に受け取った。ある新聞は「小異を捨てて大同に・・・」と書き、ある新聞は「小異を残して大同に・・・」と書いた。
  当時日本にはまだ、中国大使館はなく、代表部だったが、即日、代表部から各メディアにブリーフが配られた。
 ブリーフの要旨は「周恩来首相が言ったのは、“求同存異”であって、その真意は『小異を捨てる』のではない。また、『小異を残す』というのも『取り残す』ことになり、首相の本意ではない。“求同存異”を日本語にすれば『小異をお互いに認め合い、共有しながら、一致出来る大きな道へ進むように話し合おう』という意味なのだ。どうぞ、誤解のないように・・・」
 文章は、正確ではないが、凡そこのようなモノだったと記憶している。<



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日中国交四十周年での関係冷却に「懸念」は不要 
2012/06/29 18:03
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「日中国交正常化四十周年記念学術シンポジウム」が六月二十六日、上海で開催されたが、中国の対日交流機関である中日友好協会の唐家璇会長(元国務委員長)が講演で、石原慎太郎東京都知事の尖閣購入計画や、日本政府が世界ウイグル会議の東京大会開催を阻止しなかったことなどを痛烈に批判。そのため日本では「日中関係冷却に懸念相次ぐ=国交正常化シンポで」と言った報道が複数見られた。

 シンポジウムで講演した唐家璇・中日友好協会会長 福田康夫元首相

だが、日本のメディアまで、「日中関係」の目下の後退に懸念を表明する必要はないし、むしろそのような伝え方は有害である。

そもそも唐家璇氏は、いったいいかなる「日中関係」を求めているのか。

この日同氏が語った「日中関係」論、「日中友好」論の内容は言うまでもなく、中共公式の主張であるので、ここで検証を行いたい。

 「中国侵略」への贖罪意識で支えられてきた「日中友好」 

唐家璇氏は「中日は隣国であり、二千年にも及ぶ友好交流の中で、両国人民はお互いに学び合い、お互いを鏡にし、それぞれが人類文明に重要な貢献をしてきた」などと前置きした上で、「しかし十九世紀の終わりから不幸な歴史段階に入り、特に前世紀三、四〇年代、日本軍国主義は中国侵略戦争を開始し、中国人民に極めて深刻な災難をもたらし、日本人民にも災難を与えた。そして戦後の長い期間、両国は相互が隔絶し、対立するという不正常な状態にあった」と指摘。

そしてこう語った。

「一九七二年に両国が国交正常化を遂げたことは時代を画する意義があった。戦後の両国間の不正常な状態を終結させたばかりか、中日関係を平和、友好、協力の軌道へと回帰させ、、国際、地域的な政治構造を深く改変させた」

「日本の中国侵略戦争がもたらした巨大な傷跡と両国の間のイデオロギー異なりにより、国交正常化への道には困難、障害が充満していたが、両国の全世代の指導者、政治家たちは両国と両国人民の根本的利益のため、大きな勇気と気迫をもっと、果断に戦略的決断を下し、毅然として歴史的責任を担ったのだ」

以上を見てもわかるように中共側は、現在の「日中(友好)関係」は、中国が日本の「侵略」を許し、そして日本が「侵略」を反省したことで形成、維持され、今後もそれは継続されるべきだと考えているのである。

 中国ルールに従った宗主国と属国の関係 

国際的なルールに照らせば、日中国交樹立によって「不正常な状態」(戦争状態)は終結したはずだった。しかししばしば指摘されるように「死んでも罪を認めない」が中国の民族性である。あの国のルールに従えば、中共に対して自らの非を認めた日本は、中国に服従して続けなくてはならないとなるのだろう。

それが事実であることは、その後の四十年間の「日中関係」で一目瞭然である。歴史問題で日本が妥協、譲歩をしない限り、両国の「友好」は成り立たないものとされてきたではないか。

もし日本の政治家が「日本は中国を侵略していない」との実を口にすれば、中共はあたかも宗主国が属国に行う如く、日本に対して厳しい譴責を加え、日中関係は一気に悪化する仕組みになっていることは、ここであらためて言うまでもない。

それでは中共は、こうした「日中関係」を今後どう在らしめたいと言うのだろう。

中共の外交策略の一つに「求同存異」(双方の共通点を追求し、異なる点は棚上げする)がある。

 中共の「求同存異」外交は「友好」でなく統一戦線工作 

この「求同存異」は周恩来が一九五五年のバンドン会議で、中共の共産主義革命の拡散を警戒する各国を取り込むために使った言葉で、その発想は国共内戦中の統一戦線工作(一番の敵を打倒するために二番目の敵と暫時提携し、それを利用する謀略)以来のものだが、この言葉を唐家璇も使った。

 「求同存異」は周恩来がバンドン会議で他国を籠絡するために用いた言葉

「中日関係を発展させるためには、求同存異の政治的な知恵が求められる」と。

たとえば、

「中日間には社会制度、イデオロギーの異なりのほか、歴史、台湾、領土主権など多くの敏感な問題が存在する。両国の指導者は国交正常化の交渉過、長期的で大局を重視する視点で現実を正視し、求同存異の精神を堅持して、両国関係の政治的基礎にかかわる重大問題での一致を見た」

「釣魚島問題では“暫時棚上げして将来の解決を待つ”との重要な合意を果たしている。こうした高度な政治的な知恵が国交正常化を加速させ、中日関係の長期的な安定と発展のために有利な条件を創りだした」

そして、それだからこそ「我々も条件を作り出し、いかにして求同存異を求同解異へと発展させて行くかを模索して行かなくてはならない」と唐家璇氏は訴えたのだが、これはあまりにも聞き捨てならない。

 絶対に受け入れられない「化異」なる対日屈服要求 

「求同存異」から「求同化異」へと向かわせよとは、「双方の共通点を追求し、異なる点は解消せよ」と言うことだからだ。これは日本は中共の主張を受け入れ、それに屈従せよとの要求でもある。

たとえば中共は尖閣問題の「棚上げ」を要求し、十分なまでに日本に受け入れさせてきたわけだが、その間中共は着々と尖閣諸島はおろか、東支那海全域での支配権を確立するため軍備拡張に勤しんできたのではないのか。

繰り返させるあの国の武装船の尖閣沖への出現は、その成果を見せつけるための恫喝行為に他ならない。そうした上で「解異」を求めるなら、それは同諸島を明け渡せと言うことになる。

「歴史」問題でも然り、「台湾」問題でも然りである。日本は中共の歴史観を受け入れ、台湾併呑をも黙認せよと言うことだ。

これらを一言で言えば、「中共が東アジアで打ち立てる覇権を日本が容認し、その勢力下で大人しく平和を享受することが、日中友好だ」となる。

何しろ「死んでも罪を認めない」民族なのだ。中共が政権を維持する限り、あの国が「歴史」「台湾」「領土主権」の問題での非を認め、日本と対等な関係を結ぶなど絶対にあり得ない。

「棚上げ」「話し合い」で中共が尖閣侵略をあきらめることは絶対にない

 「尖閣購入」は日本支配工作の見直しを迫る 

ところがこれまでそうした要求を、無批判に受け入れるがごとき者が、政界、財界、学界、メディア、そして一般社会に至るまで蔓延っているのが日本の現状なのである。これは対日統一戦線工作(日本国民の取り込み)としての中共の「友好」工作の成果とも言えるだろう。

そうした状況の中、石原都知事が「棚上げ」状況を打破するために尖閣購入計画を打ち出し、多くの日本国民がそれに支持を表明しているのだ。このことに中共が狼狽するのは当然だろう。

唐家璇氏も石原氏を念頭に「一部の政治家が個人の政治基盤拡大のために問題を起こし、両国の国民感情の対立を企てている。中日関係を私利のために害する行動を阻止すべきだ」と呼びかけたが、これなどは「石原氏など反中勢力を包囲せよ」と言ったアピールであり、明らかなる一種の統一戦線工作だ。

またその一方で国交樹立四十周年の交流イベントに関しては、「交流促進を通じ、正を以って邪を圧しよう。葬儀があるからと言って両国関係発展に役立つ活動を取り消す必要はない」と強調したのも同様だ。この発言はもちろん「中国政府の態度を反映したものと見られる」(香港成報)が、このように中共は「日中友好」が後退することを極端に恐れている。

なぜならそれによって日本国民取り込み工作も後退し、その分だけ日本への影響力がそがれるからである。

このシンポジウムには日本から福田康夫元首相も駆け付け、「両国の政治家、そして国民は交流に興味を失いつつある」と憂慮するスピーチを行ったが、そうした情勢は実に結構なことだとの認識を、福田氏も持つべきだろう。

それほど日本国民は「侵略」なるものへの贖罪洗脳から免れ、中共の覇権主義に反撥するようになったと言うことだからだ。

このようにして日本に恫喝、取り込みが効かなくなると、現今の覇権主義戦略の見直しまでも余議されなくなることになる。
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上記引用は、次のブログによる
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/?m
台湾は日本の生命線!


http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20150927&ng=DGKKZO92137720X20C15A9TZN000
中国人の社会で生きる
2015/9/27付
>「現象や事実をなぞっても学術論文にはならない」。9月からの新学期、西村さんが話す北京なまりの中国語に熱がこもる。20人近い大学院生に経済学の論文執筆を指導する。伝える中身は、西村さんが中国で生き残るために独学で会得した技の一部にほかならない。
>まさに暗中模索の道のりだった。外国人が中国で大学教員になる方法など誰も教えてくれない。大学教授の経歴を片端から調べ、何が必要かを考えた。論文を書きまくり、学術誌や学会に投稿することを自らに課した。書き方から投稿の方法まですべて独習した。
05年に最初に仕上げた論文は「低迷する中国証券市場の現状」。酷評された。西村さんがいま学生に口うるさく「現状をなぞるな」と教えるのも、この経験からだ。何度も挑戦し、批評を受けた。08年には全国の博士課程の学生で2等の評価を受けるまでになった。<