批評空間ー時評5
批評空間ー時評5
週刊日本語教育批評31号―37号 http://archive.mag2.com/0001573661/20130424215517000.html
日本語教育の営為を日本語教育の歴史に投影する論評が続く。いずれも批評のテーマをおこすことにはなってきた。追求し続けるアイデンティティーのありようは国語教育にあった。言い換えれば植民地教育と日本語ということであろう。国家に、所属意識をもつことまた帰属すること、固有名を名乗り、日本語を言葉として語り始めること、そこにあるのは捨てられること、拾いに出かけること、そこにはダブルバインドがあり、イデオロギーの時代がかぶさる。
日本統治の国家が国語教育をどうおこなったか。
併合国家が言語教育をどうとらえたか。
その現実を語る人は、いない、いなくなるだろう。
いまなお、それについて国家によって語ることを拒む、拒ませる。
ある外国人日本語教師が、その方はロシア語から日本語教師に配置換えで日本語を学習し教壇に立つ、その語りだすことに、自分の係累に日本軍に殺されたものがいると語りだせば、同じ日本語教師としてどう受け止めればよいか。
日本語教育史を語る難しさがここにある。
いまも国語教育とする限り、国語の尊重と国語の愛護は、その指導要領に復活したスローガンであって、言葉の教師は、深くかみしめることになる。
>「私だけのテーマ」に関するやりとりをとおし、目の前の人物を固有名を持った個人として捉えられるようになる。目の前の人物を固有名を持った個人として捉えることは、平和への第一歩である。日本語教育実践は、そのような平和に貢献する営みとなる可能性を持っている。 31号
> このように、国家によって個人の人生が翻弄され、それでもその国家という概念にすがるしかない一人の人生とは、一体何なのだろうか。自分の意志ではないところで規定された、自分が属してしまっている国家の代表チームを応援することが、純粋にスポーツ観戦を楽しむという目を曇らせてしまう力とは何なのだろうか。これはあまりに複雑で、厄介であるし、永遠に紐解けない問題であるかもしれない。 31号
>「新しい言説を創る」過程では、議論の対象となっている問題を自分の問題として捉えなおすという段階が不可欠である。「新しい言説を創る」実践において、学習者が問題を自分の問題として捉えなおせるような働きかけが教師の主な役割となるであろう。 32号
>しかし、それを成し遂げることばかりに気を取られてしまっては、説教でも授業でも、前に立つ者と対峙する対象との関係において、言葉に宿る魂の往還は決して起こらないのではないかと思うのである。 32号
> 友人の話からは、自分の人生において、複数の言語や文化の中で生きてきたことを肯定的に捉えるには、
自分と関係している「国家」や「国語」という概念を超越し、個人レベルで自分を取り巻くものを捉え直す視点が必要であることを学んだ。そのように自身の境遇を捉えていなければ、自分を受け入れることもできないだろう。 33号
>1990年代の日本語教育界で「教室から社会へ、教授から体験へ、教師から支援者へ」というムーブメントが起こった。田中先生が行われた参加型アクションリサーチもこのムーブメントの一つに位置付けることができる。
>社会運動家としての日本語教師としての自負を感じた。そして、(僭越ながら)それは継承すべき日本語教師のあり方であると考えた。 33号
>私も、どうしようもないハードな現場がたくさんあることは、身を持って知っているつもりである。しかしそれでも、実践、そして、実践研究は、お互いの教育観を語り合うことからしか始まらないと思っている。 34号
>つまりインタビューは、その形式を取っているとはいえ、「聞いて話す」というごく当たり前でシンプルな
人と人との行為であるし、だからこそ奥深いものなのだろう。 34号
>つまり、心の目で見た過去と他者に規定された視点から見た過去は、同一の出来事であるにも関わらず、その意味が大きく変わってしまうことになるだろう。そして、皮肉なことに、自分の過去を単なる思い出話として語っているつもりでも、そこには常にイデオロギーというフィルターが通された「もう一つ」の物語がどうしようもなく存在してしまうのである。 35号
> ことばは、自分自身そのものであり、自分自身と切り離すことができない。それゆえにことばをめぐる問題は、様々なダブルバインドとして現れる。私たち日本語教師は、そういう性質を持つことばを扱っている。
それは、とても罪深いことなのかもしれない。 第35号
>ついに母親との再会を果し、積年の思いを「国語」で打ち明ける。
しかし、ほとんど「国語」を解さない母親には、伝わらない。
すでに朝鮮語を忘れている甲斐には、
「国語」以外に思いを伝える手段がない。
結局、親子はお互いの思いを伝え合えないまま、
永の別れをすることとなる。
>自分が捨て去ろうとしたものが自身を成り立たせている
というダブルバインド。 第36号
>だから、自分で自分をね、認めてあげたらいいんじゃないかなって。
私はね、そう思います。
自分の意見がね、自分でさえ認めることができないような、
あやふやな人間では困るから。
だから、「あなたの正直な胸のうちは?」って聞かれたら、
小さい時からこれで大きくなったんだから、私はやっぱり、
日本語が自分の言葉だと思うし、
正直言って自分は「日本人」だっていう、そういう気持ちなんです。 第36号
>だが、何となく職業を通して、
自分が変化していっているような気がしている。
それは、
教師としての職業的な役割を与えられている状態ではできることが、
プライベートではなかなかできなかったりするところからも感じている。 第37号
>社会とか、世界を変えるということは、
実は、自身の過去を踏まえ、
自分がいいと思う未来を夢想するといった
ごく個人的な営みから始まるのかもしれない。 第37号
週刊日本語教育批評31号―37号 http://archive.mag2.com/0001573661/20130424215517000.html
日本語教育の営為を日本語教育の歴史に投影する論評が続く。いずれも批評のテーマをおこすことにはなってきた。追求し続けるアイデンティティーのありようは国語教育にあった。言い換えれば植民地教育と日本語ということであろう。国家に、所属意識をもつことまた帰属すること、固有名を名乗り、日本語を言葉として語り始めること、そこにあるのは捨てられること、拾いに出かけること、そこにはダブルバインドがあり、イデオロギーの時代がかぶさる。
日本統治の国家が国語教育をどうおこなったか。
併合国家が言語教育をどうとらえたか。
その現実を語る人は、いない、いなくなるだろう。
いまなお、それについて国家によって語ることを拒む、拒ませる。
ある外国人日本語教師が、その方はロシア語から日本語教師に配置換えで日本語を学習し教壇に立つ、その語りだすことに、自分の係累に日本軍に殺されたものがいると語りだせば、同じ日本語教師としてどう受け止めればよいか。
日本語教育史を語る難しさがここにある。
いまも国語教育とする限り、国語の尊重と国語の愛護は、その指導要領に復活したスローガンであって、言葉の教師は、深くかみしめることになる。
>「私だけのテーマ」に関するやりとりをとおし、目の前の人物を固有名を持った個人として捉えられるようになる。目の前の人物を固有名を持った個人として捉えることは、平和への第一歩である。日本語教育実践は、そのような平和に貢献する営みとなる可能性を持っている。 31号
> このように、国家によって個人の人生が翻弄され、それでもその国家という概念にすがるしかない一人の人生とは、一体何なのだろうか。自分の意志ではないところで規定された、自分が属してしまっている国家の代表チームを応援することが、純粋にスポーツ観戦を楽しむという目を曇らせてしまう力とは何なのだろうか。これはあまりに複雑で、厄介であるし、永遠に紐解けない問題であるかもしれない。 31号
>「新しい言説を創る」過程では、議論の対象となっている問題を自分の問題として捉えなおすという段階が不可欠である。「新しい言説を創る」実践において、学習者が問題を自分の問題として捉えなおせるような働きかけが教師の主な役割となるであろう。 32号
>しかし、それを成し遂げることばかりに気を取られてしまっては、説教でも授業でも、前に立つ者と対峙する対象との関係において、言葉に宿る魂の往還は決して起こらないのではないかと思うのである。 32号
> 友人の話からは、自分の人生において、複数の言語や文化の中で生きてきたことを肯定的に捉えるには、
自分と関係している「国家」や「国語」という概念を超越し、個人レベルで自分を取り巻くものを捉え直す視点が必要であることを学んだ。そのように自身の境遇を捉えていなければ、自分を受け入れることもできないだろう。 33号
>1990年代の日本語教育界で「教室から社会へ、教授から体験へ、教師から支援者へ」というムーブメントが起こった。田中先生が行われた参加型アクションリサーチもこのムーブメントの一つに位置付けることができる。
>社会運動家としての日本語教師としての自負を感じた。そして、(僭越ながら)それは継承すべき日本語教師のあり方であると考えた。 33号
>私も、どうしようもないハードな現場がたくさんあることは、身を持って知っているつもりである。しかしそれでも、実践、そして、実践研究は、お互いの教育観を語り合うことからしか始まらないと思っている。 34号
>つまりインタビューは、その形式を取っているとはいえ、「聞いて話す」というごく当たり前でシンプルな
人と人との行為であるし、だからこそ奥深いものなのだろう。 34号
>つまり、心の目で見た過去と他者に規定された視点から見た過去は、同一の出来事であるにも関わらず、その意味が大きく変わってしまうことになるだろう。そして、皮肉なことに、自分の過去を単なる思い出話として語っているつもりでも、そこには常にイデオロギーというフィルターが通された「もう一つ」の物語がどうしようもなく存在してしまうのである。 35号
> ことばは、自分自身そのものであり、自分自身と切り離すことができない。それゆえにことばをめぐる問題は、様々なダブルバインドとして現れる。私たち日本語教師は、そういう性質を持つことばを扱っている。
それは、とても罪深いことなのかもしれない。 第35号
>ついに母親との再会を果し、積年の思いを「国語」で打ち明ける。
しかし、ほとんど「国語」を解さない母親には、伝わらない。
すでに朝鮮語を忘れている甲斐には、
「国語」以外に思いを伝える手段がない。
結局、親子はお互いの思いを伝え合えないまま、
永の別れをすることとなる。
>自分が捨て去ろうとしたものが自身を成り立たせている
というダブルバインド。 第36号
>だから、自分で自分をね、認めてあげたらいいんじゃないかなって。
私はね、そう思います。
自分の意見がね、自分でさえ認めることができないような、
あやふやな人間では困るから。
だから、「あなたの正直な胸のうちは?」って聞かれたら、
小さい時からこれで大きくなったんだから、私はやっぱり、
日本語が自分の言葉だと思うし、
正直言って自分は「日本人」だっていう、そういう気持ちなんです。 第36号
>だが、何となく職業を通して、
自分が変化していっているような気がしている。
それは、
教師としての職業的な役割を与えられている状態ではできることが、
プライベートではなかなかできなかったりするところからも感じている。 第37号
>社会とか、世界を変えるということは、
実は、自身の過去を踏まえ、
自分がいいと思う未来を夢想するといった
ごく個人的な営みから始まるのかもしれない。 第37号
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